タワマン文学とは都市居住者への賛歌

 タワマン文学は妬みや嫉みが満載だ。 

 なぜ、人はそんな物語に惹かれてしまうのか? 「人の不幸は蜜の味」とは言うが、延々と続く負の物語に、人は疲れはしないのか。

 前出の杉江さんはこう語る。

「たとえばスクールカーストやいじめを扱った作品を読むと、自分の学生時代を思い出して、『確かにそんなことがあったな』と共感する人が多いんです。他人が立っている場所の“歪み”や“不安定さ”を目の当たりにすると、読者自身も自分の立ち位置を考えるきっかけになります」

 階層を描く作品にふれることで、読者は自身の価値観や経験を再確認する機会を得るということだ。前出の竹内さんは、このジャンルを「都市居住者への賛歌」と表現する。

「都市で一定以上の生活を実現しようとすれば、住む場所も、キャリアも、育児の方針も、老後の資産形成も、結果的にタワマン文学の登場人物たちのような生き方にならざるを得ません。彼らの姿は、ときに鼻につくものの、少しでも上を目指してあがく泥臭い努力は否定できない。読者には皮肉交じりに揶揄したい気持ちもあるが、同時に評価したい思いもある。その両義性が“賛歌”として立ち上がってくるのだと思います」

 文学は社会を映す鏡だ。タワマン文学のなかに、私たち自身が感じている現代日本の「息苦しさ」を見いだしているのかもしれない。

(編集部・古寺雄大)

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