
プロ野球が3月28日に開幕し、満員御礼の大観衆で埋まった各球場で熱戦が繰り広げられた。
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昨年のプロ野球セ・パ公式戦の入場者数は前年度比6%増の約2668万人で過去最多を更新した。とくにパ・リーグは前年比10%増の約1206万人で、初めて1200万人を突破。1試合平均はセ・リーグが約3万4千人、パ・リーグが約2万8千人と6千人ほどの差だった。1980年代にセ・リーグが1試合平均3万人前後の観客を集めていたのに対し、パ・リーグは1万数千人台と半数程度だったことを思えば隔世の感がある。
「人気のセ、実力のパ」とよく言われた。1990年代までは巨人戦が地上波で全国的に放送されていたのに対し、巨人と対戦する機会がないパ・リーグの球団は認知度が低く、球場に数えられるほどの観客しかいない試合も珍しくなかった。
この環境がパ・リーグ選手たちの反骨心を作り出したところがあった。セ・パの両球団でプレーした球界OBが振り返る。
「オールスター戦はお祭りの舞台と言われていましたが、パ・リーグの先輩たちからは『セ・リーグに絶対負けるな』とハッパをかけられましたね。そのあとセ・リーグ球団に移籍しましたが、巨人より黄金時代の西武のほうが間違いなく強かった。工藤公康さん、渡辺久信さん、郭泰源さん、伊東勤さん、石毛宏典さん、辻発彦さん、秋山幸二さん、清原和博さんと能力の高い選手がそろっていて、野球が非常に緻密でスキが無かった」
西武は85年から94年までの10年間でリーグ優勝9度、日本一に6度輝いたが、そのときでも主催試合の年間入場者数が200万人を超えたことはなかった。同じころセ・リーグの巨人や阪神、中日、ヤクルトの年間入場者数は毎年のように200万人を超え、とくに巨人は350万人を超えることもしばしばだった。
大きな分岐点となったのが、2004年の球界再編騒動だ。経営難に陥っていた近鉄にオリックスが球団合併を持ちかけたのを機に、一部球団の経営陣らにより球団数をさらに削減して1リーグ制にする動きが高まった。この動きに選手会や野球ファンが猛反発。選手会はプロ野球史上初のストライキを決行した。オリックスは近鉄と合併したが、楽天が新規参入して12球団による2リーグ制が存続することになった。