
「東京の台所」シリーズの眼目は作られる料理ではなく、そこに流れる時間にある。
「連載が始まってやや経った頃は、憧れから、どこか型通りにまとめていた気がします。ある時、あまり原稿を気に入っていない印象を持っていた人が、『今でも読み返します、私には尊い経験でいつかお礼を言いたいと思っていました』とわざわざ訪ねてきてくれて、自分を深く省みることになりました。市井の人にとってインタビューという体験は一生に一回の出来事かもしれない。その貴重さを私は理解していませんでした」
自慢とは遠い距離にある人が、台所という最もプライベートな場所に書き手を招き、その連載が長く読まれているこの不思議。豊かさ。
「キッチンという語彙が全盛の頃、台所やお勝手といった言葉のあらわすもの、その精神性を大切にしたいと考えるようになりました。この呼び名を失いたくない。台所は、たとえカップラーメン一つでも、お湯を注いで、ああできた、と肯定感を感じられる空間だと思うんです。そしてこのデジタルの時代に、必ず手を動かす場所でもあります。自分の他に誰かがいたら“おいしい”という言葉が聞けたり、笑顔が見られたり。今はしんどくても、肯定するきっかけがすごく多い台所という場所を、まだまだずっと書いていくつもりです」
(ライター・北條一浩)
※AERA 2025年4月7日号