
長く静かな島の時間の流れの底に横たわる過酷な歴史
長沢慎一郎さんの受賞作を理解するためには、2021年の写真集『The Bonin Islanders』を踏まえておく必要がある。この写真集をひもとくまで、小笠原諸島の父島にこんな複雑な歴史があったことをわたしは知らなかった。気になる人には実際手にとってほしいので、ここでは詳しく触れないが、彼が最初に島を訪れてから写真集が完成するまでに13年の月日が流れている事実はここに書き留めておく。長沢さんの大切な被写体2人が、完成した写真集を見ることなく他界したことへの彼の気持ちが綴られている、巻末の文章を読めばその長さをより理解できるだろう。
『The Bonin Islanders』のなかの写真は、どれも非常に美しい。それは南の島の風光明媚や、人々の顔立ちの美しさのような単純明快な美ではない。長く静かな島の時間の流れの底に横たわる過酷な歴史、それを記憶する土地と人々のたたずまい、さらには島の暮らしが持つ美しさと厳しさのようなものが、タペストリーのように織り上げられ形となった風景が、見事に掬(すく)い撮(と)られている美しさだ。
写真家の技量だけで生み出すことはきっとできないたぐいの写真が一冊に編まれていることを鑑みたうえで、今回の『Mary Had a Little Lamb』のページを繰ると、この作品集はまったく違うものに見えてくる。戦後、アメリカの占領下にあった父島にひっそりと隠されていた核兵器の、格納庫として使われていた壕の内部の写真。それだけで一冊の本を作るという試みそのものが、チャレンジングなことだとわたしには思われた。高い技術を駆使した写真はコミッションワークに見えてしまう危険性もはらんでいるうえ、長沢さんはこの写真集に自分の言葉を寄せていない。鑑賞者によっては不親切でわかりにくいとさじを投げるかもしれないプレゼンテーションにわたしはむしろ、この歴史をもっとも誠実に提示する方法はなんだろうかと悩み抜いた写真家の、心の逡巡の軌跡を見たような気がした。(選考委員・長島有里枝氏)