
同胞としての共感を持ち得る存在
長沢慎一郎さんの前作『The Bonin Islanders』の展示を拝見したのは、2022年秋。東京・京橋のビル街で実施された「T3 PHOTO FESTIVAL TOKYO」でだった。
ビルの外壁や柱に巨大なプリントが組み込まれた都市型の写真展示場が、果たして長沢作品に似合ったものかどうかは今もよくわからないが、「東京都小笠原村」という近くて遠い地域の歴史を丹念にたどりながら、とても優しいまなざしで写真を撮られていた。
長沢さんに限らず、近年、遠方の地域に向かう写真家たちが目立つ。「地方創生」という国の方向と同調するような動きではないが、地域からの視点は、これまでよくいわれてきた「アーカイブとして残す」ということとは少し異なる側面も出てきている。
『The Bonin Islanders』も小笠原諸島の忠実なドキュメントとしてではなく、小笠原の人々、それぞれのアイデンティティーに寄り添い、時間軸を一緒にさかのぼり、その「来し方行く末」を探す10年以上に及ぶ労作だった。
そこでは取材者であったはずの長沢さんが、いつしか小笠原人(Bonin Islanders)となり、同胞としての共感を持ち得る存在になっていく関係がうかがえた。写真家自身がアーカイブになってしまったのだ。そして、そうした長沢さんの過程の延長線上に忽然と現れてしまったのが「メリーさんの羊」だった。
写真の視覚的特性のひとつに「質感」があるが、写真集『 Mary Had a Little Lamb』で表されるそれは細かな凹凸や錆色といった肉眼で見えてくるもののみならず、この密閉、あるいは包み隠されるがごとく置かれていた空間に潜む重苦しい空気そのものを指しているように思える。
それらは四方八方から迫ってくる。写真家はその見えない妖気や狂気や殺戮といった無残なイメージとたったひとりで格闘しなければならなかったはず。長沢さんは「Bonin Islanders」として、その記憶、時間軸の中にこの特別な空間をいかに位置づけていくべきかさらに葛藤を強いられるだろうし、私たちも当然ここから「現在」をしっかり直視しなければならない。
木村伊兵衛写真賞は常に時代とともにあり、時代と格闘する表現であってよいだろう。(選考委員・大西みつぐ氏)