
愛想のなさが「クール」につながった
「真矢さんは『グループの中で何が足りないかというと、クールさだ。マミ(真琴さんの愛称)はカッコよさでいったらいいかも』とアドバイスをくださいました。その新人公演がすごく好評をいただいて、そこから『哀愁の真琴』みたいなイメージも生まれていきました。学生時代のバイトのときにも言われていた、愛想のなさという欠点が『クール』や『哀愁』につながっていった。欠点は長所にもなるし、武器にもなるんだということを気づかせてくれました」
90年代前半、宝塚は「天海祐希」という大スターの誕生に沸いた。天海さんは史上最速の初舞台から7年目でトップスターに就任。真琴さんは組替えがあり、天海さんのトップお披露目公演のときに同じ月組へと異動した。
「彼女が入ってきたときから、『別格の人が入ってきたな』という感じがありました。宝塚にとっても新しい風ですよね。私もその風の中に入って、一緒に盛り上がっていけたという思いがあります。彼女の持っているオーラに吸い寄せられたという感じもありますね。天海さんは本当に気遣いの人で、すごく心地よくいさせてもらえたなと思いました」
天海さん、久世星佳さんの後を継いで、真琴さんは97年に月組トップスターに就任。同期の中で2番手になったのは最後だったが、トップになったのは真琴さんが一番早かった。下積み時代には、知人に「真琴さんはトップにはなれないよ」と占い師が言っていた、と言われたこともあった。それでも、「私はすごく運が良かったんだと思います」と振り返りながら、きっぱりとこう語った。
「未来は変えられるんだなって思いました」
(藤井みさ)
※【後編】<元宝塚月組トップスター「真琴つばさ」が明かす“結婚願望” 「カフェで運命の出会いを待っていたこともあります」>に続く

