真琴つばささん(撮影/写真映像部・松永拓也)

「時給470円」マクドナルドでバイト

「学校には内緒だったんですが、マクドナルドとコンビニでバイトをしていました。マクドナルドの時給は470円スタートの時代です。なかなか時給が上がらないので疑問に思っていると、ある日マネジャーに呼ばれて『君はね、瞳はいいんだけど笑顔が足りないんだ』と言われ……そのときに、『人って褒めることがないと、瞳を褒めるんだ』って思いましたね(笑)。当時は、ハンバーガーの注文があったら『ご一緒に揚げたてのポテトはいかがですか』とおすすめをするように言われていました。おすすめをしたら『サジェスト』というボタンを押すことになっていたんですが、そういうところで自己主張するのが嫌で私は押さなかったんです。それぐらい『自分が、自分が』と前に出るのが苦手でしたね」

 そんな内気な女子高生だったが、宝塚への夢はブレることがなかった。高校3年の終わりに、「1回だけの最後のチャンス」と宝塚音楽学校を受けることにしたときは、冒頭のように猛反対された。「お金を借りてでも行く」と訴えた真琴さんに対して、父親はこんな気持ちを吐露したという。

「家を出る最後の日、音楽学校に向かうときに父が東京駅まで送ってくれたんですが、そのときにぼそっと『自分の夢をお前は叶えたんだな』と言われました。私が一人っ子だったのもあって、今思うと、寂しかったんだろうなと思いますね」

 1983年に宝塚音楽学校に入学し、男役として研鑽を積んだ真琴さん。だが実は、男役、女役のどちらをやるのかをはっきりと聞かれたことはなかったという。

「当時は(男役になるなら)身長166センチ以上という目安はあったような気がします。あとは芸名のつけ方にもよりますし、髪の毛を短くしていたら男役、という暗黙の了解がありました」

 85年に花組「愛あれば命は永遠に」で初舞台を踏んだ真琴さん。男役としての仕草は、映画を見たり、かっこいい仕草をしている上級生を見て盗んだりして、学んでいった。とはいえ、宝塚に入ってからは初めてのことの連続で戸惑うことも多かった。そんなとき、当時のトップスターだった高汐巴さんに舞台稽古で言われた言葉は今でも胸に残っている。

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優秀な先輩と後輩にはさまれた「劣等生」