真琴つばささん(撮影/写真映像部・松永拓也)
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 元宝塚歌劇団月組トップスターの真琴つばささん(60)は、今年で芸能活動40周年を迎えます。還暦を迎えても変わらぬ凜としたたたずまいが美しい真琴さんですが、宝塚での下積み期間を「暗黒時代」と語るほど、さまざまな苦労と困難の連続だったといいます。そんな真琴さんに、宝塚入団からトップスターに駆け上がるまでの“軌跡”を聞きました。

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「うちに芸人の血筋はない」

 宝塚音楽学校を受けたいと伝えた、高校3年生の終わり。真琴さんは親戚一同からこう言われ、受験に反対されたという。

 真琴さんの実家は商店街の化粧品店。たしかに、舞台や音楽とはまったく縁のない環境だった。短大への推薦も決まっていたが、真琴さんの意志は固く、学校にも内緒で受験に臨んだ。だが、家族からの反対は強く、1次試験の後は「もういいだろう」と言われた。合格が決まった後も「おめでとう」の言葉はなく、父親からは「行かせてあげたいが、うちでは学費を出せない」と告げられた。それでも、真琴さんはこう言って両親を説得した。

「学生ローンでお金を借りてでも行くから」

 この不屈の精神力こそが、その後、真琴さんがトップスターに上り詰める原動力になっていく。

 初めて宝塚の舞台を見たのは、小学校5年生のとき。親友に誘われて東京宝塚劇場で見た「ベルサイユのばら」で、舞台から押し寄せる熱量に圧倒された。

「『あの世界に行きたい』じゃなく、『行くんだ』と強く思いました。アンドレを演じた麻実れいさんが日本人とは思えない美しさで、もう一目惚れでしたね」

 芸能界に縁がない家庭で育った真琴さんが、小学校のときに抱いていた夢は「バレーボールでオリンピックに行くこと」。中学でもバレー部に入ったが、宝塚への夢を諦められず、高校では宝塚一本に照準を定めた。

 当時近所ではやっていたジャズダンス教室や、声楽のレッスンにも通った。そのレッスン代を捻出するためにアルバイトにも励んだ。

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東京駅まで送ってくれた父に言われた一言