缶詰製作所のトップは長らく防災行政に関わった。防災備蓄品として「常温でもおいしく食べられるごはん」を目指している(写真:高知県黒潮町提供)

「にげる缶詰」思い託す

 町の防災計画の基本理念には、特段大きな文字でこうある。

「あきらめない。揺れたら逃げる。より早く、より安全なところへ」

 そしてこの「揺れたら逃げる」を合言葉に、町民全員で累計数百回もの避難訓練を繰り返してきた。「にげる缶詰」には、町民が磨き上げてきた「自助」の防災意識が込められている。

 町の取り組みに、伴走し続ける防災研究者がいる。東日本大震災の被災地・岩手県釜石市で起きた「釜石の奇跡」の立役者として知られる片田敏孝・東京大学特任教授だ。政府による衝撃の津波予測の翌年、黒潮町からの依頼を受け、防災アドバイザーに就任。年に何度も町を訪れ、行政の相談にのり、子どもたちへの防災教育や町民の防災ワークショップを支援してきた。

 釜石の奇跡──。東日本大震災による津波で多くの犠牲者が出た釜石市では、大槌湾に面した地域の小学校や中学校の児童・生徒約600人が、「津波が来るぞ!」「逃げるぞ!」と声をかけあいながら、より高い場所へと駆け上がって避難したことで、助かることができた。

 片田教授は、震災後まで約8年間、釜石市の小学校や中学校で防災教育に携わった。教室の床で子どもたちと共にハザードマップを広げては「この想定にとらわれてはいけない」と教え、「命を落とすかもしれない。しかしどんな状況でも最善を尽くしなさい」と災害のリアルを伝え、地震の後で大人が逃げなくても、自分の判断で避難する「率先避難者であれ」と背中を押した。

 釜石市では、09年に巨大な「湾口防波堤」が完成したが、この防波堤に信頼を寄せ、東日本大震災の揺れでも逃げずに津波に巻き込まれた住民が相当数いたとみられている。そんな中でも、防災教育を受けていた子どもたちは自分の命を守るため、自ら高台へと必死に駆け上がった。(フリーライター・浜田奈美)

AERA 2025年3月17日号より抜粋

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