生まれながらに重度の自閉症があり、会話が難しい東田直樹さん。パソコンや文字盤といった道具を使って、13歳で執筆した『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール・角川文庫・角川つばさ文庫)は、瞬く間に世界的ベストセラーに。最新刊エッセイ『だから毎日、幼稚園に通えた』(世界文化社)では、東田さんの原点とも言える幼稚園時代について書きました。東田さんは、インタビューの質問に対し、文字盤を使って一つひとつの文字を指差し、明確にご自身の気持ちや思いを伝えてくださいました。
【写真】東田直樹さんが会話で使う文字盤や、幼い頃の写真ほか(全4枚)幼稚園は遊園地のような素敵な場所だった
――東田さんにとって、幼稚園はどんな場所でしたか?
初めて行った幼稚園は、まるで遊園地のような場所でした。姉が、先に通っていたので、僕も早く行きたいと思っていました。
園庭には、ゾウさん滑り台や、ボールブランコ、うんていや砂場があって、そこに通う子どもたちだけしか、使うことができない遊具がたくさんありました。
なんて特別な場所なんだろう、と初日からとても楽しみでした。
――「毎日幼稚園に通えた」最大の理由や支えは何だったと思いますか。
それはやっぱり、毎日、先生や友達が僕を待ってくれていたことです。
幼稚園には、僕の居場所がちゃんとありました。だから、嫌だなんて思わずに、通えたのだと思います。
幼稚園に行くと、僕の名札があって、僕の教室があって、僕のイス、僕のお道具箱がある。持ち物全部に名前やシールが貼ってありました。
先生は毎朝笑顔で「おはよう」と僕に声をかけてくれました。少しでも僕ができるとほめてくれました。僕はみんなに受け入れられていることを感じられたから、毎日ワクワクした気持ちで楽しく幼稚園に通うことができたのです。
昨日と同じではない空や植物、生き物たちからも僕は元気をもらいました。
なぜ自分だけできないの? 教室を飛びした日々
――他の子どもたちと集団生活を送る中で、難しいと感じることはありましたか?
それは、もちろんありました。集団生活や集団行動は、初めての経験だったので、入園したばかりの頃は、自分がどう行動すればいいのか、わかりませんでした。
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