渡辺は角交換を避ける順を選ぶ。2~3月におこなわれた棋王戦五番勝負において、すべて角換わりを選んだのとは対照的だ。棋王戦の結果は渡辺1勝、藤井3勝。名人戦では、最初から作戦を変えてきたわけだ。
「予定ではあったんですけど」(渡辺)
藤井は早めに端歩を突く。これが新時代の感覚なのだろう。序盤ではできるだけ中央に手をかけるのが、将棋界400年来のセオリーだ。対して渡辺も端歩を突いて受ける。観戦者を驚かせる虚々実々の駆け引きだ。
「剣豪同士がこう、ちょっと揺さぶり合ってるような感じで。ちょっと普通じゃないんですよ」(佐藤)
■ちょっと若干苦しいかな
駒組(こまぐみ)のあと渡辺が仕掛け、藤井も動いていく。渡辺が43手目を封じ手として1日目が終わった。素人目にはまだ五分にしか見えない。またコンピューター将棋ソフト(AI)が示す評価値もほぼ互角だった。しかし渡辺は、すでに思わしくないと感じていたようだ。
「指し掛けのところはちょっと若干苦しいかなと思ってたんですけど。なんかその差が結局最後まで埋まらないような将棋でしたね」(渡辺)
2日目に入り、激しい攻め合いとなっても、形勢はまだイーブンとしか思えないまま続いていった。
72手目。藤井は渡辺玉のすぐ近くに歩を打つ。対して渡辺がその歩を金で取った手は、わずかに疑問だったか。藤井は攻めながら渡辺陣に飛車を成り込み、強力な龍を作る。
「そのあたり、あまり自信のないまま指していました」
局後に藤井はそう語っていた。観戦者には、わずかに藤井ペースとなったように思われたが、形勢はそう離れていない。
84手目。藤井は再び渡辺陣に歩を打つ。残りは渡辺1時間0分、藤井1時間18分。ここで渡辺が42分を割き、藤井玉に迫る順を選んだ。形勢はここでついにはっきり離れたようだ。代わりに渡辺が銀を上げるギリギリの受けを指していれば、勝敗はどうなったかわからない。しかしそれもまた、難しい手だ。
■中段に飛び出した「角」
いつものように、藤井は間違えない。自陣から逃げながら中段に飛び出した角が相手陣に利き、絶品の攻防手となった。
110手目。藤井は渡辺玉の逃げ道をふさぐ角を打つ。渡辺玉は受けがなく、藤井玉に詰みはない。勝敗が明らかなところから、いたずらに手数を重ねないのが高段者のたしなみだ。