それでは私は、かつて所属していた、ちょっとやそっとでは潰れないしクビにもならないであろう企業に戻りたいかというと二の足を踏んでしまいます。私の家は、両親は不仲ではなく、言ってみれば愛に溢れる家庭で育ったけれど、ずっとそこで両親とともに暮らしたかったかというと、そうではないから十代でとっとと家を出たわけです。
自分をなんとなく社会の荒波から守ってくれる存在というのは自分を縛り付ける存在でもあります。逆に言えば、口うるさい先生のいる学校や、干渉してくる親のいる家庭など、思春期の自分がうざったいなと思ってその束縛から逃れたかった存在は、例外なく自分を守ってくれる存在でもあったわけです。そこから逃れて自由になるということはすなわち、それに伴う孤独の責任を負うということです。
「経験したことのない気楽さ」を感じた一人暮らし、でも…
生まれて初めて一人暮らしをした最初の一年のことをよく覚えています。私はそれまで同居していた親と喧嘩したまま、逃げるように実家を出てしまったので、最初は友人の家に泊まらせてもらっていました。そこでは実家よりはよほど自由がありましたが、それでも人の世話になっているので気ままに生活できるわけではありません。一カ月ほどしてようやく自分だけの部屋を横浜の桜木町の近くに契約しました。
最初の二カ月ほどは本当に自由に、自分が思うような時間に起きて自分の食べたくないものは一つも食べず、買いたいものだけを買って生活できることにかつて経験したことのない気楽さを感じていました。それまでたいして不自由と思っていなかった実家生活や友人との暮らしが、実際は人に気を遣ったり顔色をうかがったり、あるいは一緒にいる人に対してそれなりにきちんとした人間に見られるよう気を張ったりすることの連続で、とても疲れていたのだとその時よくわかりました。