つば九郎
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 ヤクルト球団が19日、「これまで、つば九郎を支えてきた社員スタッフが永眠いたしました」と公式ホームページで発表した。球団マスコットを30年間勤めてきたヤクルトの顔だけに、ヤクルト選手や球界関係者が次々と追悼のメッセージを寄せた。お酒好きの素顔を知る人たちからも惜しむ声が相次いだ。

【写真】惜しい! くるりんぱに失敗したつば九郎

 つば九郎は1994年に本拠地・神宮球場でデビュー。愛くるしい見た目とは裏腹に毒舌とユーモアを交えた「フリップ芸」が人気を呼び、マスコットキャラクターの概念を変える存在となった。ホームゲームで5回終了後にヘルメットを空中に投げてかぶる「空中くるりんぱ」も風物詩に。成功は一度もなかったが、スタンドを笑いに包んだ。

 2022年8月5日の巨人戦で主催試合2000試合出場を達成。デビュー30周年の節目を迎えた昨年は中日のマスコット「ドアラ」と共に雑誌「an・an」の表紙を飾るなどプロ野球界の枠を超えて多くの人たちに愛された。毎年行われる契約公開も話題になり、今季は1月28日に現状維持の年俸6万円プラス「ヤクルト1000」の飲み放題でサインしていた。

 30年以上、球団の顔を務め続けるのは激務だったはずだ。気温が40度を超えるような猛暑の夏でも、連日グラウンドに立ち続けた。体力の消耗は想像を絶する世界だ。ヤクルト球団関係者が振り返る。

「猛暑のとき、パフォーマンスが終わってお客さんに手を振ってグラウンドから引き上げてくる時に、肩で息をしていました。ベンチ裏で扇風機を当てても、滝のような汗が止まらない。試合前のイベントに出ることも多かったですし、相当な重労働だったと思います。でも、弱音は一度も聞かなかったですね。代役を立てることもなかった。見てくれるファンのためにも、つば九郎としてグラウンドに立ち続けることにプライドを持っていたと思います」

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お酒の席で見せていた気遣いは