そんな逆境のなか、江川は80年に16勝、81年に20勝を挙げ、2年連続最多勝を記録したが、当時在京の運動記者クラブ部長会が選考を行っていた沢村賞では、80年が該当者なし、81年は18勝のチームメイト・西本聖が選ばれ、江川はいずれも落選。その理由は「人格に値しない」というものだった。

 こうした世間の大逆風に対し、江川は「野球ではとにかく勝つこと」「周囲には決して失礼なことはできない」の二つを心掛けたという。「一度貼られたダーティなイメージをはがすのは、容易なことではない。一度にまとめて、なんてことは、絶対に無理だ。何かの縁で接することのできるひとりひとりの方に、江川卓を正しく理解してもらう以外に、方法はない」(自著「たかが江川されど江川」 新潮文庫)。

 かつての江川に比べれば、風圧もそれほど強くないが、上沢も今季は「とにかく勝つこと」に徹し、ソフトバンクの4年契約という評価が、日本ハムの単年契約より妥当だったと証明することが、風向きを変える何よりの方法になるはずだ。(文・久保田龍雄)

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