ところが、愛甲がロッテに入団し、オープン戦も始まった翌81年3月に事件が週刊誌で報じられたことから、日本高野連が調査に乗り出す。一方、ロッテ側は「キャンプ中に本人からすべて聞いている問題であり、新戦力として彼を使っていく考えに変わりはない」(山内一弘監督)として、3月24日の大洋戦で、予定どおり愛甲を先発させた。愛甲も同21日、野球部合宿所を訪問し、後輩部員たちに「皆さんに迷惑をかけて済まない」と土下座して詫びた。
だが、同校は6月まで3カ月の対外試合禁止処分を受け、事件と直接関係のない下級生が連帯責任を負うことになった。
愛甲は後年、自著「球界の野良犬」(宝島社)の中で、相手の親が週刊誌記者に事件のことを喋ったと明かし、「俺は罰せられても仕方がなかったが、公になることで学校、特に下級生の迷惑になることを考えて欲しかった」と訴えている。(文・久保田龍雄)