フジテレビ本社
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元タレントの中居正広氏と女性のトラブルをめぐる問題で、フジテレビが27日、「やりなおし会見」を開いた。トラブルが報じられてからCMの見合わせなどが相次ぎ、岐路に立つフジテレビ。他局とどこで差がついてしまったのか。業界内での立ち位置や組織風土を紐解くため、過去のターニングポイントを振り返る(この記事は、AERA1999年2月22日号からの一部抜粋です。年齢、肩書などの情報は当時のまま)

 かつてフジは輝いていた。軽チャー路線は衝撃だった。が、視聴率トップ転落で、日テレとの差は開く一方だ。危機は静かに進んでいる。大丈夫か フジテレビ。

 初めて訪れる家なのに玄関に入っただけで、色々察しがつくこともある。
 東京・麹町にある日本テレビ本社の受付のそばには、他局の視聴率も併記した、「五年連続四冠王」「視聴率速報 今年度三六回目 四冠王」とデカデカと書かれたビラが貼られていた。
 フジテレビ本社の受付には、「ヒット御礼 踊る大捜査線六百万人突破」の立て看板があるだけ。

八〇年代に大ブレーク


 オフィスの天井には、「救命病棟24時 二四%」なんて「檄文(げきぶん)」もぶら下がっていたが外部からは見られない。
 日テレのようにずうずうしくPRしたらいいのに……。こうフジの社員たちに水を差し向けてみると、一様にこう答えた。


「負けてるからダメですよ……いや、勝っていてもうちはやらないだろうね」


 独自の道をさっそうと行く、というのがフジテレビの社風なのかもしれないが、こういう違いもあった。
 日テレに取材を申し込むと、広報はほとんどフリーパス。取材を希望した担当部署と直接交渉させてくれるので、話が早い。
 一方、自由なイメージのフジでは、まず取材趣旨を書いた文書を送れと言われる。取材の対応は各社違って当然だが、「それで日本テレビは誰が取材に答えるのか」という点についても聞かれた。日テレの出方によって「同格」の人間を出すと言うのである。
 この違いは何なのか。


 フジテレビの全盛時代については、いまさらいうまでもない。
 一九八〇年代、鹿内春雄(しかないはるお)会長(故人)の登場、四十代で抜擢された若き編成局長、日枝久(ひえだひさし)氏(現社長)の登用で「軽チャー路線」を敷き、「おれたちひょうきん族」など一連のバラエティー番組をヒットさせた。九四年に日テレにその座を奪われるまで十二年間連続で視聴率トップの座に就いた。
 テレビ史上でも例がない「長期政権」にはサクセスストーリーがごろごろしている。
 あるとき、一週間のうち視聴率が一桁台の番組は一つしかなかった。そこでこの番組担当のプロデューサーが営業担当の幹部にわざわざ謝罪に行ったところ、幹部はこう笑い飛ばしたという。


「いいよ、いいよ。一つぐらいそんな番組もないと現場も『よし、やってやろう』と盛り上がらないからね……」


 そのフジが視聴率トップの座を奪い返せないままでいる。今は日テレが五年連続でトップの座を占めている。下の表のように人気上位の番組ではまだ優位といえるが、全体の視聴率では、差が年々開いてきているのだ。

危機感乏しいフジ社内

 業界調べの資料によると、「首位逆転」が起こった九四年当時の日本テレの年間視聴率は一〇・三%。敗れたフジは九・五%で、その差は〇・八%幅だった。
 一方、昨年の日テレは一一・二%でフジテレビは九%。その差は二・二%幅にまで広がっている。
 首位逆転当初、業界内では、「すぐにフジが抜き返す」と言われたものだが、いまは、「当分フジが巻き返すのは無理」とさえ言われるようになった。
 経常利益も九六年三月期決算で日テレに抜かれた。
 だが、フジ内部に危機感はあまりなく、特にこれといった視聴率アップの対策は講じていない。
フジの前田和也編成部長は現状をこう説明した。


ドラマ王国は健在、問題はバラエティーです。日本テレビの視聴率がいいのはオールラウンドの年齢層を取り込んでいるからだ。しかし、だからといって、うちが日本テレビと同じような番組作りをしても、敗ける。あくまで若者向けのフジらしさを追求する」


 実際に昨年から二十三時台に若者向けのバラエティー番組を作り、そこでヒットさせて看板番組に発展した例もある。「SMAP×SMAP」などがそうだ。

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