兆候は春季キャンプの時点からあった。発展途上のチームは猛練習でレベルアップさせる必要があると考える広岡GMに対し、バレンタイン監督は単純な反復運動の繰り返しがレベルアップにつながるとは考えず、1日約5時間の練習も長過ぎると感じていた。

 また、アメリカのGMは、広岡GMのようにグラウンドに立ち入って選手に指示を与えるなど、現場介入することはない。このギャップも行き違いの要因となった。

 そして、チームの2位確保がかかるシーズン終盤の9月11日、6連戦を前にした休養日に、「選手を休ませてリフレッシュさせたい」という指揮官と「練習して次の戦いに備える」とするGMの見解の相違が、両者の決定的な亀裂を招く。

 この日練習を行ったロッテは、翌日から6連勝。結果的にGMの考えが正しかったことを球団側が認識した直後の9月21日、監督解任が報じられる。

 その後、ファンの留任嘆願の署名も空しく、10月17日、GMとの野球観、哲学の違いが長期的に強いチームづくりに支障があるとして、正式に解任が発表された。

 だが、「いつの日か私は日本に戻ってきて、この仕事を完結させたい」と雪辱を誓ったバレンタイン監督は04年に復帰。翌05年、ロッテを31年ぶり日本一に導いた。(文・久保田龍雄)

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