そして、翌05年3月27日のマリナーズとのオープン戦、6回2死三塁の場面で、メジャー初登板が実現する。

 打席にはオープン戦で球団新の16試合連続安打と絶好調のイチローが立っていた。「イチローだから、行け!」とマウンドに送り出された養父は、いきなり一塁ベースに当たる安打を許し、1回を3安打2失点。イチローは同い年だけに「打ち取りたかったです」と残念がった。

 この登板をきっかけに、さらなる飛躍も期待されたが、服用していたプロテインの中に禁止薬物が混入していたことを知らず、5月のドーピング検査で陽性反応が出て、MLBから15試合出場停止処分を受けると、即刻解雇。メジャー昇格のチャンスも幻と消えた。

 米独立リーグなどでプレーしたあと、06年に古巣・兄弟に復帰し、開幕投手を務めたが、膝の故障などで登板9試合、4勝4敗に終わり、6月に退団。再びメジャーを目指したが、契約に至らず、33歳で現役を引退した。高校3年春以来、相次ぐ故障と闘いながら、チャレンジしつづけた16年間だった。

 現在はルーツ・ベースボール・アカデミー代表として、次代を担う野球少年たちの育成に取り組んでいる。(文・久保田龍雄)

▼▼▼AERA最新号はこちら▼▼▼