夏目雅子が語った恋とチマチョゴリ 篠田正浩 聞けなかった遺言
玉音放送が校庭に流れ、夏目雅子がしゃがみこんで泣きだす。グレン・ミラーの「イン・ザ・ムード」が流れる「瀬戸内少年野球団」(八四年)。篠田正浩監督は一年間のロケを通し、夏目雅子ととことんつきあった。撮影が終わる前夜、夏目雅子が監督の部屋を訪ねてきた。
「私、結婚するんです」
と彼女は言いました。僕は全然知りませんでした。お相手は伊集院静さん。
「でも結婚生活にあまり夢を持たないほうがいいよ」
と言うと、
「監督だって続いているじゃないですか」
と笑われました。その後、まじめな顔になった。
「ふたつお願いがあるんです。まず、この在日の小説家に未来があるかどうか、見てほしいんです」
タイトルは「三年坂」。
在日の作家の友人もいる、読みますよと言うと、
「これを書いたのは伊集院なんです」
彼の初期の作品だったと思います。それからしばらく伊集院さんの話でした。山口県の防府高校の野球部から、長嶋茂雄にあこがれて立教大学に進んだと話すから、なんだ、そうだったのかと思いましたね。
夏目君は撮影当時、ピッチングフォームがなってなかったんで、「勉強してこい」と怒鳴ったんです。いつのまにか良くなったんですが、そばに優秀なコーチがいたわけです。
「もうひとつのお願いですけど、結婚式はチマチョゴリを着たいんです。東京で披露宴なんかできないけど、それでもいいですか」
僕は夏目君の亡くなったお父さんと同い年。父親のように思ってくれていたようですね。
「僕はお父さんじゃないから、良いも悪いも言う立場にはないけれど、それはとてもいいことだと思うよ」
そう言ったら彼女、
「サンキュー」
と言って部屋を飛び出していきました。きっと伊集院さんに電話をかけに行ったんでしょう。僕はそのときの彼女の、弾むように消えていった姿を今でもよく覚えています。
「瀬戸内少年野球団」が封切られると、夏目君は渋谷の映画館に行っては、電話をかけてきました。
「監督、入ってる、入ってるよ。母に言われたの。『ヌードにならなくてもお客が呼べるじゃない』って」
気品があって、清楚で、色っぽい。日本の女優にはいないタイプでした。
結局、「瀬戸内少年野球団」が彼女の遺作となったんですが、公開直後に、
「また撮ってくださいね」
と言われました。
僕は谷崎の作品を考えていたんです。彼女なら残酷で、しかも美しい物語ができると思っていました。
白血病で入院中、雨が降ると喜んでたそうです。
「今日はこれでだれもロケができないや」
って。かわいい人。そしてあっという間に駆け抜けていきました。本当に存在していたんだろうかと思うことがあります。(談)