新天地のロッテでも2年連続でリーグトップのセーブ数を記録するなど抑えとして活躍した。移籍3年目の1989年には先発に転向して12勝をマーク。その後は故障もあって成績を落としたが、リリーフ、先発両方で結果を残した投手としても印象深い。
一方の鹿取も巨人ではタイトル獲得こそなかったものの、ルーキーイヤーからリリーフとして活躍。1987年にはリーグ最多の63試合に登板し7勝、18セーブをマークしてチームのリーグ優勝にも大きく貢献している。1989年に成績を落とすと、オフに西岡良洋との交換トレードで西武に加入した。
1年目から24セーブをマークして最優秀救援投手のタイトルを獲得し、日本シリーズでは古巣の巨人を相手に好投を見せてチームの日本一にも大きく貢献した。その後も潮崎哲也、杉山賢人と鉄壁のリリーフ陣を構成。徐々に中継ぎとしての登板が多くなったが、長くチームを支えた。西武の黄金時代には欠かせない存在だったことは間違いない。
ここまでの3人は移籍先でも期待通りの成績をあげているが、苦しんでいる例も少なくない。まず名前が挙がるのがペドラザ(ダイエー→巨人)だ。メジャーでの出場経験はなかったが、1999年に来日して4年連続で20セーブ以上をマーク。2000年と2001年には最優秀救援投手にも輝いている。しかし2002年に成績を落として自由契約となり、巨人が獲得したもののわずか7試合の登板に終わり1年限りで退団となった。
フリーエージェント(FA)で移籍した豊田清(西武→巨人)も苦しんだ1人だ。西武では入団当初は先発として2度の二桁勝利をマークするなど活躍したが2001年に抑えに転向。2002年からは2年連続で最優秀救援投手に輝いている。2005年オフにFA権を行使して巨人に移籍。1年目は開幕から好調を維持していたが徐々に成績を落とし、13セーブ、防御率3点台に終わった。翌年以降は主に中継ぎとして3年連続で40試合以上に登板し、チームとして戦力になったが、期待されていた役割を果たすことはできなかった。