テレビ局の選挙報道が機能しない理由
斎藤知事は自身に関する公益通報があったにもかかわらず、第三者に調査させるのではなく、自分自身が直接関わって調査を行い、これを公益通報ではないと結論づけ、さらには通報を行った元局長に処分まで下したという対応には、公益通報者保護法違反という極めて深刻な違法行為の疑いがある。にもかかわらず、テレビ局は、そのことよりも、斎藤氏のパワハラやおねだり疑惑に焦点を当てて報じていた。その方が面白く視聴率をとれるからだ。
元局長が自殺した原因について、パワハラだけではない個人的な問題があった可能性があるということを報じたテレビ局はなかった。それを伝えていれば、その先の議論として、個人的な問題があったとしても、公益通報者保護法違反やパワハラの疑惑が消えるわけではないということを明確に伝えることができていたはずだが、そうした報道の機会をテレビ局自ら消してしまったのだ。
その結果、こうした議論がテレビの世界では抜け落ちてしまった。その穴を埋めたのがネット上での情報拡散だった。
テレビ局の選挙報道がこのようにほとんど機能していない背景には、放送法第4条が定める「政治的公平」の問題がある。放送法第4条第1項は、以下のように定める。
放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めるところによらなければならない。
(1) 公安及び善良な風俗を害しないこと。
(2) 政治的に公平であること。
(3) 報道は事実をまげないですること。
(4) 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
自民党は、この条項を単なる努力義務を定めた「倫理規範」ではなく、罰則を伴う「法規範」だと解釈している。しかも、本条項第2号に定められた「政治的公平」は個別番組ごとに守る必要があるとの解釈までちらつかせ、場合によっては電波法による停波(放送停止)処分まであり得ると高市早苗総務相(当時)が国会で述べたりして、テレビ局を萎縮させてきた。
それとは別に、安倍晋三政権時代には菅義偉官房長官を中心に公にではなく、表には出さない様々な形で言論弾圧を行ったが、放送法と電波法によって政府に管理される立場にあるテレビ局が、最も影響を受けた。
そうした体制は、菅政権でも続いたが、安倍氏が暗殺され、テレビ局に最も厳しい態度をとっていた自民党の萩生田光一元政調会長も裏金や旧統一教会スキャンダルで力を失った今、ようやく通常の放送では、比較的自由に政権批判が行われるようになってきた。
しかし、選挙になると、完全に口をつぐむという悪習は、変わらないままだ。
前述の通り、各候補者の映像を同じ長さにする自主規制はその最たるものだが、ファクトチェックで特定の政党や候補者の述べることの誤りを指摘するということもまた自粛してきた。その結果、兵庫県知事選のような無法状態が出現しても、テレビはそれを正すための適切な情報提供を全く行えず、報道機関としての存在意義が問われる事態となったのだ。