コラムなどで「いいことを書きそうになったら、やめるようにしている」と語るいしわたり淳治さん(撮影/小財 美香子)
 

――教養になるのを避けているというか。「作品の評価で一喜一憂することは極力しないようにして来たし、これからも常に平常心を保って仕事をするつもりである」(「アスリートは一定」の章より)という一節も印象的でした。制作中に盛り上がったり、“ノリにノッてる”みたいな状態になることもないですか?

 ないですね、それは。仲のいい人たちには「(いしわたりは)何のために仕事をしているのかわからない」と言われるんですよ。褒められるためにやっているわけではないし。そこに山があるから登るみたいな感じに近いのかなと。もちろん自分なりのゴールというか、どの作品にもテーマがあるので、それが達成されているかどうかはシビアに考えますけどね。ヒットしたとしてもそれはアーティストの努力だし、僕の力は微々たるもの。そこで自分の手柄だと思うようになったらおしまいだと思ってます。

――では、作詞家の役割についてはどう考えていますか? かつては“歌は世につれ、世は歌につれ”という言葉もありましたが、今はリスナーそれぞれが好きな曲を聴く時代。それは当然、歌詞にも影響していると思うのですが。

 そうですね。この連載をはじめた7年くらい前はアイドルブームがちょっと落ち着いてきた時期で、そこが一つの転換点だと思ってるんです。2010年~11年くらいにAKBが出てきて、K-POPの少女時代なども登場したことで、作家(作詞家、作曲家)に注目が集まった。昔の歌謡曲のような作られ方が続いたんですが、2018年頃から自作自演のアーティストがどんどん出てきて、自己表現の時代になったんじゃないかなと。僕は世の中というものが好きだし、また流行歌が生まれてほしいなと思っていますけどね。

――昨今はコンプライアンスによって、言葉の表現が狭まっているとも言われます。歌詞を書くうえで、足かせになっているところはないですか?

 確かにコンプライアンスはどんどん厳しくなっていると思います。たとえばチューリップの「虹とスニーカーの頃」の歌い出しなんて、〈わがままは 男の罪/それを許さないのは 女の罪〉ですよ? 素晴らしい曲ですが、今の時代に照らし合わせると、もしかしたらいろいろな意見があるかもしれない。

――今の時代だったら、作られていなかったかも。

 それもコンプラが強まった影響かも。ただ、僕自身はそれを足かせだとは思ってないんです。

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オアシスの対訳