田村正資さんは「QuizKnock」の動画や記事にもたびたび登場している(撮影/小林哲夫)

――たとえば、どんなクイズがありますか。

「日本の総理大臣を50音順に並べたとき、最初に来るのは芦田 均ですが、最後に来るのは誰?」といったクイズです。この問題の答えは若槻礼次郎です。だからそれを覚えて終わり、としてもいいのですが……。こういうクイズに出合ったとき、「僕はいま何を知ったことになるのだろう」と不思議な感覚になりました。誰が総理大臣になったか、その人がどんな業績を残したかについては、どこかの本に書いてあり、すでに「知識」として、世界に登録されています。

 ただ、50音順で並べたときに若槻礼次郎が最後に来る、もしくは芦田 均が最初に来る、みたいな知識は、このクイズが生まれるまで、世界にはなかった知識という気がしたんです。クイズは、ただ世界をなぞるだけではなくて、新しい知識、新しい世界の見方を生みだすものではないか。そういうところに魅力を感じて面白いと思っていました。

――そうした関心が哲学研究へとつながったわけですね。

 本書『問いが世界をつくりだす』は、このようなクイズ的な経験が源流にあって、クイズというよりも僕たち人がそもそも「ただ世界をなぞるだけじゃない、世界との創造的な関わり方」をしているのではないか、ということをメルロ゠ポンティと一緒に考えた本です。

――クイズについて「経験がともなわない知識ばかり」と言われたこともあったということですが。

 僕は、知識先行になることをまったく悲観していません。むしろ、「いまはネット時代だから調べたらわかる」とか言ってないで、クイズでもなんでも活用して知識をどんどん頭の中に入れたらいい。僕はクイズをやめてから、「これクイズで聞いたことがある」をきっかけに、いろいろなものに興味を持ちました。クイズでその名前や単語を知らなかったら「ただ知らないもの」として見過ごしていた、通り過ぎていたかもしれません。単純ですが「クイズで知っていた」というだけで興味や好奇心につながったケースがたくさんあります。クイズをやっていると、長い人生で「本物だ!」「聞いたことある!」と心を動かされる瞬間が増えます。これはクイズの魅力なのでしょう。そのことに気付いたのはクイズをやめてからでした。

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