高校時代、佐々木は日本代表合宿に参加して163キロを計測した後、出力を意図的に落としていたという。また同年夏の岩手県大会決勝は登板を回避したが、「身体に違和感を感じていたためではないか」とも推測する。投手としてのポテンシャルの高さはもちろん、1人のアスリートとして自己管理能力の高さが際立っていた。それはプロに入っても変わることがない。
「暖かくなってきた4月6日、日本代表で163キロを出しましたがその後は間違いなく出力を落としました。4月終わりの仙台育英戦ではメジャーの10球団ほどが集まりました。そこでは最速でも145キロくらいに抑えて投げていました。本人からすれば5割くらいの力だったのではないか。その後も2カ月間くらいはブルペンでもかなり落として投げていたのを覚えています」
「決勝での登板回避も本人は納得していたはずです。春先からの違和感を考慮した上で決勝で投げることのデメリットの大きさを考えたのでしょう。結果論になりますが素晴らしい決断でした。佐々木本人もそうですが、決断を尊重できる監督や仲間たちの理解も素晴らしかった。将来性ある良い投手が育つはずです」
「プロでも変わりません。1年目の春季キャンプから一軍に帯同したが初のブルペン投球は2月13日のこと。同年5月26日に一軍でシート打撃に登板して160キロを計測しましたが、その後はほとんど投げていません。2年目の一軍デビュー戦(21年5月16日)も最速154キロと出力を落としていました。ロッテが大事にしているのも大きいです。去年までは理解者である吉井理人氏(当時投手コーチ)がいました。今年も登録を抹消して休みを与えるという話もあります」
これまでは抑え気味に成長をしてきたが、それでも他を圧倒するような能力を示してきた。まだ伸びしろはあり、可能性は無限大だ。プロ3年目の20歳、現在のスポーツ医学を考えれば、これから15~20年先も現役生活を続けることも可能である。さらなる進化、飛躍をするためにも投球フォームの改善とトミー・ジョン手術(側副靱帯再建術)がカギを握るという。