「なりたい自分」を求めて頑張りすぎてはいないか。現代社会の人は、生きることに対して非常に力が入っているように映る。「力を抜いて『大したことのない自分』を生きればいい」。禅僧・南直哉氏の著書『新版 禅僧が教える 心がラクになる生き方』(アスコム)から一部を抜粋し、人生の過ごし方について考える。
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もともと人は、「受け身」の存在です。
駆り立てられるように積極的に生きるのは、無理なのです。
「人生を棒に振ってもいい」くらいの気持ちでいれば
ラクに生きられます。
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「なりたい自分になる」という言葉があります。
「今の自分」ではなく、憧れの自分になれば、幸せに生きられる。
だから努力して、自分を「なりたい」と思う自分に変えていく。そういう生き方です。私は、このやり方には、無理があると思っています。
人は自分自身の「記憶」と他人の「承認」によって規定されている作り物にすぎません。「なりたい自分」の「自分」とは何かすら、はっきりわかっていないのです。
最近よく耳にする「本当の自分になる」「ありのままの自分になる」という考え方も、あり得ません。「本当の自分」「ありのままの自分」とは、一見、なんのとらわれもなく心のままに生きられる、ひとつの理想像のように思えるかもしれません。
しかし、誰が、何を基準に、その自分が「本当」で「ありのまま」だと判定するのでしょうか。私には、それがよくわからないのです。結局は、「本当の自分」「ありのままの自分」になるために、あるいは「なりたい自分」になるために、記憶と「他人の承認」の中をさまよいながら、「自分は、これでいいのだろうか」と葛藤しているだけになるでしょう。
「今の自分を好きになれないので、本当の自分を見つけたいのです」と訴える方がいますが、自分というものに対して居心地の悪さを感じるのは、当然です。