1月4日、阿佐ケ谷ロフトの「カルト新年会」に藤倉、菅野らと登壇。藤倉が「昨年のエイトさんの活躍に乾杯! エイトいっぱぁつ!」と音頭を取った。鈴木は「一発屋になることを一番危惧している」(撮影/倉田貴志)
1月4日、阿佐ケ谷ロフトの「カルト新年会」に藤倉、菅野らと登壇。藤倉が「昨年のエイトさんの活躍に乾杯! エイトいっぱぁつ!」と音頭を取った。鈴木は「一発屋になることを一番危惧している」(撮影/倉田貴志)

 いぶかしむ相手に鈴木は、ペンネームであることを伝え、独自に調査してきた旧統一教会と関係のある政治家の100人を超えるリストや証言、教団の内部文書を惜しげもなく提供した。安倍が05年、教団の友好団体「天宙平和連合(UPF)」の創設大会に祝電を打った頃から、教団との関係が親密化していたこと。自民党の政調会長・萩生田光一が教団のイベントに積極的に参加していたこと。地道な取材で得た蓄積は圧倒的だ。信頼を得て、テレビで発言する場を得られるようになったのは、事件から3週間ほど過ぎた7月下旬からだった。

「ずっとサブカル的な立ち位置にいた自分が急にメインストリームに出ていくことへの戸惑いはあった」

 とこぼすが、テレビなどに出るたびに、鈴木の控室を報道関係者や著名なジャーナリストたちが続々訪ねてきて「よく頑張ってきたね」と声をかけてくれるという。報じれば、執拗(しつよう)な抗議を受けることが多いカルト問題。そこに切り込むことを諦めなかった鈴木に、同業者からも畏敬の念が集まる。

 カルト問題や宗教と政治の問題を研究する上越教育大学大学院の准教授・塚田穂高(宗教社会学)は、「問題意識があっても『危うきに近寄らず』という判断から及び腰になるメディアは多い。そんな中、とにかく現場に行き、身体をはった取材をしぶとく、かつクールに続けてきた。売れてやろう、ではなく、ただ『これはおかしい』という直感を信じて食らいついていった」と評価。17年に塚田が編著『徹底検証 日本の右傾化』をまとめた際には、旧統一教会が政界に浸透している点について、鈴木に執筆を依頼している。

 鈴木の教団追及活動の始まりは、唐突だった。02年6月。初夏の匂いがする夕刻、仕事帰りに渋谷駅の改札を出たら、目の前に勧誘活動をしている信者数人と、立ち止まって話を聞いている女性がいた。

「考えるより先に身体が動きました。あの時の感覚は今も覚えています。割って入り、勧誘をやめさせた」

 ちょうどその前日、テレビの報道番組が旧統一教会の偽装勧誘の実態をレポートしていたのを観たばかりだった。初めて知った悪質性と、実際に目にした勧誘活動が掛け合わさって、鈴木の中でスイッチが入った。

 以来、連日のように街に出て、勧誘を阻止する生活が始まった。平日は仕事が終わってから、週末は朝から、山手線に乗って池袋、新宿、渋谷をぐるぐる回った。雑踏に目が慣れるに従って、勧誘現場はいくらでも見つけられるようになった。「手相の勉強をしています」「アンケートにご協力ください」。そんな偽装勧誘をしている信者を論破していくのが楽しかったという。

 街頭で対峙(たいじ)する信者に「なぜ邪魔をするのか?」とよく聞かれた。「趣味です」と答えると、相手に「悪趣味ですね」と言われ、睨(にら)まれた。帰宅はいつも終電だ。教団の尾行をまきながら、路地裏を走って帰ったことが何度もある。

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