小説家の平野啓一郎さん。近年では『マチネの終わりに』、『ある男』、『本心』が次々と映画化されるなど、日本を代表する作家として精力的な執筆活動を続けている(撮影/品田裕美)

プロダクトデザインの考え方が小説のヒントに

――『マチネの終わりに』以降の長篇小説は、平易な文章で読みやすい印象があります。ストーリーをなぞるだけで面白いし、そのなかに平野さんの文学性、哲学といったものも感じられて。小説の構造自体も変化させているのでしょうか?

 それもいくつか変遷があって。『決壊』のときは、アメリカの連続ドラマを参考にしたりしました。「プリズン・ブレイク」や『ER』には毎週見ざるを得ないような吸引力があったと思うのですが、どういう構造になっているか調べてみると、たとえば「ER』の場合、キャラクターの一人ひとりに違う脚本家が付いているらしいんですね。脚本が面白く、キャラが立ってくると出番も多くなり、脚本家のギャラも上がる。つまり脚本家同士の競争ですよね。また、『ER』も同様ですが、1人の登場人物の話がしばらく続いたと思ったら、いいところで別のキャラクターの話に移るというリニアな構成になっている。面白い場面で話を区切り、違う人物の話に移行するわけですが、それを『決壊』で試してみたんです。

 ただ、いくつか課題があって。まず小説全体がどうしても長くなるんですよね。途中で哲学的な議論が始まったり、一見すると主題に関係ない話が挟まったりすると、物語が寸断されている感じを与えてしまい、途中で読むのをやめてしまう人が出てくる。本を読むのに慣れている人は“全部が物語に関係している”と統合しながら読めるんですが、全員がそうではない。それで、また違うやり方を考えるようになって、ヒントになったのは、『かたちだけの愛』(2010年)を書いた際に、プロダクトデザイン(製品のデザイン)について調べたことですね。プロダクトデザインは積層的で、表面にインターフェースがあり、その内部にエンジニアリングの部分がある。小説もそういうデザインにしたほうがいいんじゃないかと思ったんです。トップにはシンプルで美しいストーリーを置き、その下方に社会的、哲学的な次元の議論などを挟む。ストーリーだけを楽しむこともできるし、時々、設置されている開口部から更に深いレイヤーを読み込むこともできるというデザインですよね。それにトライし始めたのが『マチネの終わりに』ですが、ボリュームを絞りながら、多くの情報量を扱うことが可能になりました。僕の小説は、そのせいもあって、映画にするのは大変だと思います(笑)。

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