小説家の平野啓一郎が新作短篇集『富士山』を上梓した。五つの短篇が収められた新作『富士山』に共通しているのは、ごく普通の人々の“あり得たかもしれない人生”。本作をひもときながら、平野さんの作品への考えや創作のスタンスについて聞いた。前・後編のロングインタビューでお届けする。
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1999年、京都大学在学中に『日蝕』で芥川賞を受賞し、鮮烈な作家デビューを果たした平野さんは、以降、ひとつのスタイルにとらわれることなく、時代を強く反映した作品を世に出し続けてきた。近年では『マチネの終わりに』、『ある男』、『本心』が次々と映画化されるなど、日本を代表する作家として精力的な執筆活動を続けている。
――平野さんのキャリアを振りかえると、短篇を発表している時期は、作風が変化する過渡期という印象があります。
そうですね。デビューからの3作(『日蝕』/1998年、『一月物語』/1999年、『葬送』第一部・第二部/2002年)を書いた後、現代を舞台にした長篇小説に取り組もうと思ったのですが、インターネットが浸透したり、テロが起きたりするなど、あまりにも社会が激変してしまって。それまでの書き方だと現実を捉えられないのではないかと思い、まずは実験的な短篇を書いて、次の方向性を探ったんですよね。それが“第二期”と呼んでいる時期です。
――『高瀬川』(2003年)、『滴り落ちる時計たちの波紋』(2004年)などの短篇集を発表していた期間ですね。少し補足をさせていただくと、平野さんはご自身の20年を超える作家生活と作品群をご自身で四期に分けて分析されています。ロマン主義三部作を発表した第一期、短篇・実験期と呼ばれる試行錯誤を行い「新しい世界」を描いた第二期、「分人主義」という独自の思想を展開する充実した第三期、『マチネの終わりに』がベストセラーとなり「平野啓一郎」のイメージが更新された第四期というふうに。
ええ。その第二期の後、“第三期”と呼んでいる長篇小説(『決壊』/2008年、『ドーン』/2009年など)を書いて、短篇から長篇に移行するやり方に手ごたえを感じたんですね。“第四期”も短篇の『透明な迷宮』(2014年)からはじめて、その後『マチネの終わりに』(2016年)、『ある男』(2018年)、『本心』(2021年)を発表したのですが、『本心』で一区切りついた感覚がありました。その後に書いたのが今回の『富士山』ということです。