3年目以降はリリーフが多くなり、82年に4勝5敗1セーブでチームの8年ぶりリーグVに貢献も、84年限りで現役引退。6年間の短いプロ生活だったが、最高の輝きを放った1年目は、“パームの藤沢”の呼称とともに、今でも多くのファンの記憶に残っている。本人も「プロに行かなかったら、人間としての人生はともかく、野球人生では悔いが残っただろうね」(週刊ベースボール1993年10月18日号)と肯定的に振り返っている。

 そして、ドラフト史上最多の指名5度も、永久不滅の記録として語り継がれることだろう。(文・久保田龍雄)

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