そして、画びょうのない心地よい椅子を選ぼうものなら、時代遅れな社会が言うだろう。「お前はその椅子にふさわしくない! まだそれを勝ち得ていないじゃないか! まずは画びょうの上に座らないなんて、自分勝手だ! よくもそんなことができるな!?」

 バカバカしく聞こえるだろうが、これは、健康を犠牲にして、不快な気分や頑張りすぎを美化するときに、私たちが言っていることだ。

 残念ながら、みんなが1日中画びょうの上に平気で座っている世の中で、罪悪感を覚えずに心地よい椅子に座りたいなら、この手の時代遅れなプログラムをどんどん解除しなくてはならないのだ。
 

感情の嵐に翻弄されるな

 私はよく「感情はお天気のようだ」と思う。

 多くの人にとって、感情はお天気のようにコロコロ変わるものだ。かすかな風が吹くたびに人生をかき乱され、根こそぎにされ、振り回されて、ひどく生きづらくなったり、場合によっては生きていけなくなったりする。常に刻々と変化する感情に、翻弄されているのだ。

 恐れがかき立てた感情の嵐に延々ともまれるうちに、人は希望を失い、怒り、イライラし、やけを起こして、孤独感を募らせる。感情の浮き沈みに翻弄されればされるほど、周りに敵が増え、危険が増すだろう。私が見たところ、常に感情の嵐に翻弄される、敵の多い危険な世界は、コンフォート・ゾーンの外にいるときに経験する世界だ。
 

 では少しだけ、またコンフォート・ゾーンを現実の家にたとえてみよう。安全な自宅にいるときは、お天気にどう対処している? 安全な家に住んでいたら、厳しい自然から守られている、と感じるだろう。

 でも、天井が雨漏りしていたり、壁が朽ちかけていたり、カビが生えていたり、電気や配管のトラブルを抱えていたら、当然ながら、外から突然どっと雨が漏れ出してこないか、心配になるだろう。心の家をないがしろにしているときも同じだ。心に不安を抱えていたら、外がほんのちょっぴり揺れただけで、危険を感じるだろう。でも、健全で安全な心の家、すなわちコンフォート・ゾーンを育んでいれば、どんな感情の嵐にも耐えられる。

 安心して自由に自分を表現し、楽しく過ごせるコンフォート・ゾーンを育んでいると、感情に翻弄されなくなるので、感情から人生を取り戻せる。

 どんな感情がわいても、安心したまま、自分の価値を思い出し、信頼感や帰属感を抱いて、「どんな状況でも乗り越えられる」と自信を持っていられる。

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