だが、南海に戻る意思のない別所は、3月28日に巨人と契約。同年、別所が加入した巨人は、2位・阪急に16ゲーム差で戦後初Vを達成した。

 川上哲治監督就任1年目の61年秋には、卒業後に入団の約束をしていた関西大2年の村瀬広基を口説いて中退させ、優勝のかかったシーズン終盤に投げさせる“裏技”を用いている。

 同年の巨人は8月に投手陣の不調から中日に首位を奪われてしまう。この劣勢を挽回するために、「卒業まで待てない」と村瀬に白羽の矢を立てたのだ。

 引き抜き同然の事態に、大学の監督は除名を口にしたが、監督と折り合いの悪かった村瀬は「どうせジャイアンツにお世話になるんだったら、別に除名になったって、ぼくは構わない」(「週刊ベースボール」61年10月16日号)と大学を中退し、9月4日に巨人と契約。同17日の広島戦でプロ初先発初完封を記録するなど、5連勝でリーグ優勝に貢献した。

 ドラフト制導入後の68年にも、巨人は「外国籍の選手はドラフトにかける必要はない」という抜け道に目をつけ、夏の甲子園準優勝投手で、韓国籍の新浦寿夫(静岡商)を中退させて獲得している。

 定時制から全日制に再入学した1年生の新浦は、高校でプレーできるのは、あと1年。翌年に中退すると、ドラフト対象選手になり、好きな球団を選べなくなることから、「今、中退すれば、どの球団とも自由に交渉できる」とプロ側は言葉巧みに説得。新浦もプロ入りに前向きになり、中退届提出後、セパ6球団と交渉した。そして、「前から王さん、長嶋さんをバックに投げてみたいと憧れていた」と巨人を選んだ。

 だが、「週刊ベースボール」の同年9月23日号に「『やっぱりだった。今度の問題は初めから、巨人との間に筋書きが出来上がっていたんだ』。報道陣の誰もがそう感じたに違いない」とあるように、終始巨人が主導権を握っていた。

 この一件がきっかけで、「外国籍の選手も日本の中、高、大学に在学する者はドラフトにかけなければいけない」という新ルールが導入されている。

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ルールが変わっても“抜け道”がなくなることはない…?