脚本家山田太一(79)やまだ・たいち/1934年生まれ。58年、早稲田大学卒業。同年、松竹大船撮影所の助監督に。65年、脚本家として独立し、数々の賞を受賞。主な作品に「ふぞろいの林檎たち」など。近著に『月日の残像』(撮影/写真部・植田真紗美)
脚本家
山田太一(79)

やまだ・たいち/1934年生まれ。58年、早稲田大学卒業。同年、松竹大船撮影所の助監督に。65年、脚本家として独立し、数々の賞を受賞。主な作品に「ふぞろいの林檎たち」など。近著に『月日の残像』(撮影/写真部・植田真紗美)

山田:当時、僕は高校生で、世間が自分に関心のないのは当たり前だと思っていたから別に傷つきもせず、「まあ、そんなもんだろう」と思っていました。でも世間に出ると、その言葉が強く甦って。のぼせちゃいけないとか、その言葉が頭から離れなくなった。途中から脚本家として一人で生きていかなくちゃならなくなり、その言葉がすごいリアリティーを増すようになった。誰も自分のことを思ってくれる人はいないんだ、と。だから僕は、自分に目をかけて引っ張りあげてくれた優しい人に対しても、どこか距離を置くようなところがあった。それは考えると、母親の肯定がなかったからかなぁと思います。それが僕の物事を見るゆがみになったように感じる。重たい話で恐縮です。

山藤:いえいえ。僕の場合は母親から言葉の影響は受けていませんが、「おんぶ」という、これ以上に密着することのない状態で学んだことが記憶に残っています。朝、母親におぶわれて売店に行き、同じ時間を過ごす。帰るときには、またおぶわれて家に帰る。お袋はお地蔵さんを見れば手を合わせ、月や富士山を見ては頭を下げるような人でした。おぶわれている僕も自然と一緒に頭を下げることになる。

 そこで、やたら物事に感謝したり、今日様(こんにちさま)をありがたい、と思うようになりました。それが、一番深いところで母から教わったことですね。

山田:素敵ですね。

山藤:そんなことを教えられていて、じゃあ、お前、ブラック・アングルを描くなよ、という感じもしますが(笑)。教えと仕事が別なのは面白いもんです。ただそのほうが正直な気もします。

山田:その程度の矛盾は誰にでもあります。

山藤:矛盾じゃなく、むしろそれがエネルギーになっているんじゃないか。「背を向ける」ってそういうことなんじゃないか。結論、親というのは、時にアンチテーゼとして強く影響するのではないかと思います。

山田:えぇ、そうですね。

週刊朝日  2014年5月9・16日号より抜粋

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