イラストレーターで風刺画家の山藤章二さんが9月30日、老衰で亡くなった。87歳だった。週刊朝日で「ブラック・アングル」を45年、「似顔絵塾」を40年にわたって連載した(いずれも2021年終了)山藤さんが、脚本家の山田太一さんと対談した記事を再配信する(AERA dot.で2014年5月13日に配信)。
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本誌「ブラック・アングル」でおなじみのイラストレーター・山藤章二さんと、名作ドラマで知られる脚本家・山田太一さんが最近、「自分史」を著した。時代を表現し続ける巨匠2人の対談では、“昭和”や家族を語り合った。
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山田:僕は気質的に山藤さんとは似た感じ方をすることが多いと思いますが、違うところを女房と話していたら、「お母さんが早く死んだ人と、お父さんが早く死んだ人との違いじゃない」と言われました。すごいこと言うなあ、一理あると感じました。僕は小学校5年生のときに母を亡くしました。
山藤:僕は生後4カ月で父を亡くしました。
山田:母を亡くしてからは、父と割と一緒に過ごすことが多かったんです。父は疎開をしていて孤独でしたし、お金にも困っていた。だから僕は高校生のころ、父の晩酌に付き合っていました。向き合って座っている程度ですが、それくらいはしないと悪いなあと思っていて、そばにいて話を聞いていました。そのときに言われた父の言葉がいまだに頭から離れないんですよね。
山藤:なんと言われたのですか。
山田:「お前のことを本当に心配しているのは、お父ちゃんと死んだお母ちゃんだけだ。そのことを忘れちゃいけない。世間っていうのはそういうもんだ」と。父は疎開先で心を許せる人がいない自分の孤独を語ったんだと思います。僕はそれはすごくリアリティーがある言葉だなと思いました。
山藤:なるほど。