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 ドジャースが、3年連足地区優勝を決めた。チームを優勝に導いたのは大谷翔平の活躍。米国時間9月19日、大谷はメジャーリーグの歴史を再び塗り替えた。約150年のメジャーリーグの歴史で初となる、シーズン50本塁打・50盗塁を成し遂げたのだ。アメリカでは、この偉業によって、大谷が「史上最高の野球選手」ではないかという声すら上がっている。米地方紙で報道記者を務め、『米番記者が見た大谷翔平』(朝日新書)の著者でもある日本人ジャーナリストが、アメリカでの反響を分析した。

【貴重】ベビーフェイスだった?高校球児時代の大谷翔平

「野球史上最高の1日」

 舞台は昨年ワールド・ベースボール・クラシックで優勝を果たしたフロリダ州マイアミのローンデポ・パーク。勝てば自身初のポストシーズン進出が決まる大一番の試合だった。

 その日、大谷はすでに第49号本塁打を含む4安打を放ち、今季50、51個目の盗塁も決める大暴れをしていた。

 そして7回表、ツーアウト、ランナー2、3塁の場面で回ってきた第5打席。敵地にもかかわらず、球場には、「もしかしたらやってのけるのではないか」という期待感が漂っていた。マーリンズのマイク・バウマン投手のナックルカーブとストレートに対して、大谷は立て続けにフルスイングをして、スタンドはどよめいた。

 バウマンが投じた4球目の外角へのナックルカーブを、大谷は逆らわずに振り抜いた。打球は放物線を描いて、大歓声の上がるレフトスタンドへと吸い込まれた。大谷は雄叫びをあげてベースを回った。

「まさに唯一無二の選手、唯一無二のシーズンです!大谷翔平が『50-50(フィフティー・フィフティー』クラブを立ち上げました!」と地元テレビ局の実況は叫んだ。

 大谷は次打席でも第51号を放ち、6打数6安打、打点10、本塁打3、二塁打2、盗塁2という異次元の活躍だった。

 アメリカ人にとって、ホームランはパワー、盗塁はスピードの象徴であり、その両方を兼ね備える選手は非常に稀である。そのため、「40-40」や「50-50」といった記録は、誰にでも分かりやすくエキサイティングで、数ある記録の中でも特に注目される。

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