A. 理想が打ち砕かれる準備があれば恋愛は楽しい

 お便りにもあるとおり、現在ではあらゆるセクシュアリティが発見され、理解も進んでいますから、恋愛しない、恋愛はするけどセックスはしない、セックスはするけど恋愛はしない、人間ではない存在になら恋する、などなど人の有り様は自由です。ただ、フィクションや音楽のテーマとして恋愛以上に強力なものがあまりないというのも事実で、仕事や友情や家族や趣味などあらゆるほかの営みと比べても、熱量が高く、情熱を傾けるに値するものだとも思います。

 強い宗教的な束縛がない風土で生まれた私の実感として、死にたいほど辛い思いをするとか、逆に地底のどん底からすくい上げられるとか、そういう機会ってそう多くはなく、恋愛は数少ない契機になっています。ただそれも、そういう人が多いというだけで、恋愛以外に情熱を傾ける対象があったり、恋愛より自分にドライブがかかる方法があったりする人もいるのでしょう。そもそも学部の三年生ということは一般的には二十歳前後だと思いますから、恋愛経験があまりないということを気に病むような歳ではありません。高校生や大学生で大恋愛をしたという人ももちろんいるでしょうが、私だって本格的に恋愛をする準備ができたのは、けっこう大人になってからだと思うからです。

恋愛のさじ加減は季節によっても違う

 さて無理にする必要はないにせよ、恋愛の経験がないままに自分には縁がないものとして片づけてしまうのは物足りないという気分もよくわかります。しかし男性が女性にアプローチをするという行為自体が、かつてに比べてずいぶん気を遣うことになっているのはその通りだと思います。恋愛やセックスが難しいのは、タイミングや相手によっては人生で最高の経験にも、逆に深刻なトラウマを残す最低な経験にもなることです。自分にとって自然な行為でも相手に不快な思いをさせた場合に、トラブルになる危険性だってはらみます。そしてそのさじ加減は教科書に従うような単純なものではなく、千差万別、気分や季節によっても違うのだから、その複雑さは料理や運転などとは比べ物になりません。

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恋愛の準備ができた状態とは?