DeNAの山崎康晃が7月27日の巨人戦で、NPB史上最遅の通算531試合目で初先発を記録した。山崎のようにプロ1年目から抑えを務めた投手が存在する一方、クローザーとして名を成した投手には、若手時代に先発を経験した者も少なくない。
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その一人が“ハマの大魔神”こと佐々木主浩だ。
1989年のドラフト1位で大洋に入団した佐々木は、1年目は登板16試合のうち、7試合が先発だった。
プロ初先発は5月13日、郷里・仙台で行われた中日戦。2万8000人の地元ファンから声援を送られたが、制球に苦しみ、落合博満に3安打を固め打ちされるなど、5回途中7安打3失点で降板。ほろ苦いプロ初黒星を喫した。
だが、2度目の先発となった同24日のヤクルト戦では、5回3失点で降板直後の6回にパチョレックの逆転3ランが飛び出し、うれしいプロ初勝利を手にした。
翌91年も5月12日のヤクルト戦に先発し、川崎憲次郎と投げ合ったが、6回3失点で負け投手に。中盤に球威が落ちるなど、スタミナ面の不安から、この試合を最後にリリーフ1本になった。
そして、故障離脱の遠藤一彦に代わって抑えを任されると、7月2日の阪神戦でシーズン初セーブ。ロングリリーフを挟みながら月間5セーブを記録し、新ストッパーに。
同年はリーグ最多の登板58試合で117イニングを投げ、6勝9敗17セーブ、防御率2.00。規定投球回数に到達すれば、最優秀防御率も狙えたことから(同年は広島・佐々岡真司が2.44で獲得)、小谷正勝コーチが「2試合ぐらい先発すれば」と提案したが、結果的に先発・佐々木が実現することはなかった。
その後の佐々木は、95年からの4年連続を含む計5度の最優秀救援投手に輝き、日米通算381セーブを記録。“大魔神”の名を不動のものにしたのはご存じのとおりだ。
サイドからのシンカーを武器に、日米通算313セーブを記録した高津臣吾も、プロ2年目までは先発起用が多かった。