窪塚は2003年、神奈川県横須賀市に生まれた。父・洋介は当時24歳、ダンサーの母は20歳。若い二人に「自分の身の回りの人にも愛を循環させて、みんなを幸せにしてほしい」との意味を込めて「愛流」と名づけられた。窪塚家は父・洋介を筆頭に叔父である次男・窪塚俊介(42)が俳優、三男のRUEED(ルイード)がレゲエミュージシャン、母の妹もダンサーというアーティスト一家だ。窪塚は幼いころからライブや撮影現場、母のダンスの練習場などに連れられて育った。幼少期にハマっていたのは絵を描くことと、「ごっこ遊び」。戦隊もののごっこ遊びではいつも人気のヒーロー役を人に譲り、もっぱら悪役担当だった。
「母によく言われたのは、昔から自分のものやお菓子を『どうぞ』って相手に譲ってあげる子だった、って。たしかにそうでしたね。性格なのかもしれません。そういうのが自分の役割なんだって思っていました」
叔父の俊介も証言する。
「愛流は小さいころから自分が決めるよりも先に『俊くんはどうするの?』と聞いてくるんです。自己犠牲というとちょっと言い過ぎですけど、まず相手の気持ちを考える優しい心、思いやりを持っている子だなと」
小2にあがる年に東日本大震災が起き、原発事故の影響を懸念した父が家族で大阪に引っ越すことを決めた。友達と急に別れることになった悲しさを憶(おぼ)えている。最初は大阪での暮らしになじめなかった。父の決断はマスメディアの興味の的となり、記者に自宅に押しかけられて怖い思いもした。転校先の小学校でも「窪塚洋介の息子」という目で見られ、このときばかりは自分の家庭環境をうとましく思った。
だが、まもなく近所に2歳下の友人ができ、その弟とも仲良くなった。翌年に両親が離婚してから小6までの期間はその友人の家で過ごすことも多く、彼らとは兄弟のように育った。その間も父の家と母の家を往来して同じ年月をともに過ごした。父が再婚し新しい母と妹ができたいまも、家族ぐるみで実母との関係は続いている。
「たぶん自分は普通の人が経験していない育ち方をしているんです。いろんなところを転々としてきたので、いろんなところに家族といえる存在の人がいる。母と、いまの母と、しばらく一緒に過ごした友人の母。お母さんが3人いる、みたいな感じです」