
──なぜ、そこまで車いすテニスにのめり込むことができたのですか?
僕は負けず嫌いなんです。若い選手を教えていても、そこが自分と違うところなのかなと感じています。勝つことはもちろんうれしいけど、とにかく、負けたくない。ネガティブな気持ちから来る思いで練習していました。
──『マイ・ワースト・ゲーム』でも、そういったネガティブな感情が赤裸々に語られていますね。
自分自身のことをさらけ出すのは好きではないのですが、僕が車いすテニスのプレーヤーとしてキャリアを終えることができたのも、たくさんの人の支えがあったからこそ、でした。そのことへの感謝を、記録という形でちゃんと残しておきたいという思いがありました。
──朝日新聞の稲垣康介記者が構成を担当していて、自伝というよりも、スポーツ・ノンフィクションのような形になっています。
稲垣さんは、2004年から車いすテニスを取材していて、おそらく日本では最も僕の試合を見ている記者だと思います。
僕自身が忘れていることもあるし、記者の立場から見た僕の記録も必要だと思って、稲垣さんに構成をお願いしました。
最終的には稲垣さんの原稿を僕が読んで、二人で議論をして、さらに追加取材をしてもらったり、追記してもらったりして一冊の本にしました。
自分の思いがこもった一冊になったと思います。
自分の命を使い切る
──パリ・パラリンピックでは、NHKの「アスリートナビゲーター」に就任しました。国枝さんにとってパリ大会の見どころは?
現役時代の僕は、観客のみなさんに「車いすでここまでできるんだ!」と感じてほしいと思っていました。人間の想像を超えるプレーを見せたかった。パラリンピックは、誰もが持っているバイアスがスポーツによって破壊され、それまでの思い込みを飛び越える経験を与えてくれることが魅力です。
とはいっても、現役時代は車いすテニス以外のパラスポーツを見たことはあまりなかった。なので、僕自身もパリ大会で驚きの体験ができることを楽しみにしています。
──米国での新しい挑戦もそうですが、常に全力で生きているように思います。それは、9歳の時に経験した脊髄腫瘍の影響があるのでしょうか。
それはあると思います。今でも命があることに尊さを感じるし、だからこそ1日を何もせずに過ごすのは「もったいない」と思ってしまうんですよね。
「引退した後にそんなに必死に働かなくてもいいんじゃないの」と言う人もいるかもしれないですけど、それは僕にとってはつらいことなんです。まだ体は動くし、ずっと働いていたい。自分の命をしっかり使い切って、人生を終えたいですね。
──今も、現役時代と同じように1日24時間をフルに使っているんですね。どうやって「やる気」を維持しているのですか。
何事であっても、大切なのは「自分は今、何をすべきか」を一つだけでいいので持つことではないでしょうか。現役時代もコートに入る時は、その日の課題を持つように心がけていました。だから、車いすテニスをしていた時は「今日はサボりたいな」と思ったことは一度もありませんでした。
それは今もあまり変わらないと思います。米国に来てからは、1日3時間は英語の自習に充てています。とはいえ、英語に関してだけは「今日はもういいや」と思うことが多いのですが(笑)
(構成/フリーランス記者・西岡千史)
※AERA 2024年9月9日号に加筆