2021年9月、東京パラリンピックの男子シングルスでロンドン大会以来2大会ぶり3度目の金メダルを獲得。勝利の瞬間、涙があふれた(写真 SportsPressJP/アフロ)

──国枝さんは04年のアテネ大会からパラリンピックに5大会連続で参加してきましたが、どの大会が印象深いですか。

 全部と言いたいところですが、やはり、21年の東京パラリンピックで金メダルを取ったことですね。16年のリオ大会では準々決勝で負けたことで挫折を経験しました。それから東京大会までの5年間は、僕のアスリート人生のすべてが詰まっていたように感じています。

「最悪」が「最高」を生んだ

──7月に出された本では、リオでの敗北をきっかけに、それまでの成功体験をどんどん捨てていったことが描かれています。

 当時は1日24時間、ずっとテニスのことを考え続けている状態でした。負けたことで、変わらないといけないと強く思うようになって、ラケットも車いすも変えました。これまでとは違う視点を得たくて、コーチも新しい人にお願いしました。

 やっぱり勝ち続けていると、何かを変えるのが難しいし、実際に変化に慣れるまでは大変です。でも、5年間で自分自身が変わることができた。その意味では、東京が最も記憶に残る大会になったのは、リオでの「ワースト・ゲーム」があったからでした。

「オレは最強だ!」の文字が入ったラケットで戦い続けた国枝さん。2023年2月の引退会見では「弱気の虫を外に飛ばしていけた」と語った(写真 ©IMG)

──現役時代は「俺は最強だ!」と自身に語りかけて、試合に挑んでいました。「心の強さ」はどうやって鍛えたのでしょうか。

 よく誤解されるのですが、メンタルトレーニングは「心を強くする」ためのものではないんです。自分に対して自信が持てなくなった時、その疑念を振り払うためにどうするか。そのための「テクニック」です。

 車いすテニスでは、ポイントが決まってから25秒以内に次のサーブを打たなければなりません。その25秒に何をするか。連続でポイントを取られていたら、タオルを取りに行く自分自身に語りかける。練習の時からルーティンを繰り返すことで、試合でも平常心を取り戻せるようになる。「俺は最強だ!」と自分に語りかけるのも、そういったルーティンの一つなんです。

調子いいのは年に2日

──国枝さんのように、世界のトップ選手でも、不安になるものなのですか。

 今の若いアスリートは、オリンピックやパラリンピックのような大舞台を楽しめる人が多いようですが、僕は楽しいと思ったことは一度もありませんでした。試合に行く時はいつも不安で、怖かったです。

 だからこそ、自分の周りに壁をたくさん作って、自分の世界の中に入り込む。それで恐怖を乗り越えていく。そうしないと、コートに入る前に自分自身に押しつぶされてしまう。だから、鏡の前で「俺は最強だ!」と100回ぐらい言うわけです。

 裏を返すと、その恐怖に打ち勝たないと、勝利は手に入らないと思っていました。

──その恐怖に勝つことで初めて実力が出せる、と。

 というよりも、そもそも試合で実力が100%出せるとは思っていなかったですね。

 よく、試合後のインタビューで「今日は実力が出せなかった。私の日ではなかった」と話すアスリートがいますが、僕とは違うんだなと感じていました。試合で出せる実力なんてせいぜい70%程度です。

 もちろん、いわゆる「ゾーン」というものに入って100%以上の実力が出せた時もありました。東京パラの準決勝でもゾーンに入って、その日はとても暑かったのに、涼しく感じたのを覚えています。ボールもゆっくり見えるし、狙ったところに打てる。でも、意識すればゾーンに入れるものではないし、意識し始めると逆に抜けてしまう。だから、僕はゾーンに入ることを目指していませんでした。

 テニスの試合は1月から11月までありますが、「私の日」になるのはせいぜい年に2日ぐらい。残りは普通の日か調子が悪い日なので、不安があっても勝てるように準備をしていました。

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国枝さんが語るパラリンピックの魅力