パラリンピックに5大会連続で出場してメダル6個(金4、銅2)、4大大会の男子シングルス優勝は28回。日本スポーツ界の伝説的存在、国枝慎吾さん(40)が、自らのアスリート人生について語った共著『国枝慎吾 マイ・ワースト・ゲーム』(朝日新聞出版)を刊行した。国枝さんは引退後の現在は米国でコーチ修業中で、パリ・パラリンピックでは初めて伝える側に回っている。レジェンドは第二の人生をどう歩むのか、そして熱戦が続くパリ・パラリンピックへの想いを聞いた。
* * *
──今年1月、全米テニス協会の車いすテニスのアドバイザーに就任して渡米しました。米国に拠点を移したのはなぜですか。
引退発表をした後、所属先のユニクロの柳井正会長から「これからは、副業ではなくて、自分自身の本業を見つけなさい」と言われました。それが、心にグサッと刺さっていたんです。
引退するまでは車いすテニスという「本業」があって、目標があって、いつも試合があった。それが消えてしまった。引退してから1年ぐらいはいろんな仕事をしていたのですが、柳井会長が言った「自分の本業とは何か」についてずっと考えていました。
そのうちに、車いすテニスプレーヤーとしての自分の経験を活かせて、できれば海外でも仕事ができるようになりたい。そんなことを考えて全米テニス協会でトレーナーをしている知人に相談したところ、米国のジュニア選手のコーチをすることになりました。
名選手ゆえに多い悩み
──米国を選んだ理由は?
全米テニス協会の施設は、敷地内にテニスコートだけで100面ほどあります。おそらく、世界一のテニス施設です。ここでコーチングと英語の両方の勉強ができたら、一石二鳥だなと思ったんです。
あとは、米国の車いすテニスのレベルが世界から遅れていることですね。車いすテニスの4大大会の中では、全米オープンが一番盛り上がらない。米国の選手で、世界レベルで活躍できる選手がいないからです。
車いすテニスは日本と欧州で盛り上がりをみせているのですが、そこに世界一のスポーツ大国である米国も巻き込みたいと考えています。
──テニスに限らず、欧米の有名スポーツ選手は引退後、競技に関わる人は少ないですよね。「名選手、名コーチにあらず」という言葉もあります。
たしかに、他人に「教える」ことがこんなに難しいことだったのかと実感しています。特に、自分が苦労しなかったところを教えるのが難しい。
たとえば、テニスの試合では相手がボールを打った瞬間、どこに着地して、どう弾むのかを瞬時に予測する必要があります。そのうえで、ボールとの距離を考えて車いすを操作する。実際には相手の構えや打球音なども含めて判断するのですが、感覚的なものなので、教えるのが難しい。言葉の壁もあり、そこで悩んでいるところです。
ただ、言葉で説明するだけではなくて、実際に見て理解してもらうことも重要だなとも感じていて、新たなトライをしているところです。