風刺やブラックユーモアは難しい。一歩間違うと、差別や偏見の助長につながるからだ。
 辛辣な風刺で知られる「シャルリ・エブド」が、イスラム教を侮辱したとしてテロにあい、これに抗議するシャルリ・デモがフランス全土に広がった。
 もちろんテロを許すことはできない。だが差別的表現を大上段に「表現の自由」と唱えるのは、違う気もする。
 歴史人口学者のエマニュエル・トッドは、シャルリ・デモの背景には、カトリック伝統の長いフランスの、イスラム教への嫌悪があるとする。またそこには現代フランスの民主主義の衰退も絡んでいるという。
 何より驚くのは、トッドが自説を裏付けるために用いる統計資料の組み合わせの妙であり、その推論の鮮やかさと視野の広さだ。
 トッドは現代フランスの自由と信仰に関する認識の捻れの起源を、フランス革命までさかのぼって検証する。現代フランスで宗教実践が少ない地域は、フランス革命期に聖職者が法律の遵守(教会法より世俗権力を優先)を誓った地域であることを統計資料で示す。そしてシャルリ・デモが多かったのも、そうした「先進的」地域だったことを明らかにする。
 しかし、さらに別のデータから、その先進的地域は上流中産階級の人口比率が高い地域でもあり、デモは彼らが主導したものだったことを示した。そしてこの二つの相関から、彼らには信仰心は希薄だが、「異教徒」への嫌悪感や異文化への不寛容という宗教感情の負の側面は無根拠に残っているとする。ゾンビ・カトリシズムというらしい。
 形骸化し、ゾンビ化しているのは「自由・平等・友愛」の精神もだ。寛容の精神を欠いた自由の強調は平等を侵食し、友愛は「友」でない他者の排除に向かう。それは民主制の危機であるだけでなく、経済的没落にもつながると警告する。この点を指摘しないと、今時の人間は反省しないだろうという、トッド流の風刺も感じられる。

週刊朝日 2016年3月18日号