「すごいうれしいです。最高です」
競技中とはうって変わって、心の奥底から喜びの気持ちを吐露した玉井陸斗は、ホッとした表情を浮かべながらも、どこか興奮冷めやらぬといった雰囲気で、短いながらも感情がふんだんに入った言葉を残した。
この言葉は玉井だけのものではなかった。1920年のアントワープ五輪に出場して以来104年もの間、一度も表彰台に立つことがなかった飛込競技において、ファンや関係者にとって、五輪でのメダル獲得というのはまさに悲願であった。パリで、日本で、飛込の世界に関わった人たちが、一斉に同じ時間にガッツポーズをしたことだろう。
男子高飛込での玉井の銀メダル獲得、というニュースは、それほどの衝撃だったのだ。
飛込の日本代表チームの流れは、明らかに悪かった。
初日の女子高飛込でこそ玉井のチームメイトである荒井祭里が、予選落ちに終わった東京五輪のリベンジを果たす初の決勝進出を果たしたものの、続く男子3m飛板飛込の坂井丞は準決勝敗退。女子3m飛板飛込では、メダル獲得の急先鋒だった三上紗也可が予選落ち。何とか榎本遼香が準決勝に進んだものの、予選ではしなかったミスが続き決勝に進めなかった。
ただ、玉井は自分のやるべきこと、目指すべきことに向けて集中力を高めていた。『日本人初、五輪メダル第一号になること』だ。
だからこそ、日本代表チームの暗い雰囲気と流れに飲まれることはなかった。
男子高飛込の予選から、世界に対して『日本に玉井陸斗あり』を堂々とアピール。10点満点で採点するジャッジが、玉井のほとんどの演技に8点前後の評価を出す。全6ラウンドのうち、ミスというミスはひとつもなく、合計497.15ポイントを獲得し、絶対王者で東京五輪金メダリストの中国の曹縁に次ぐ2位で準決勝進出を決めた。
続く準決勝では、予選のポイントを超えて勢いをつけたかったが、477.00と少し得点を落とす。予選と違ってミスが出たのは、“後ろ入水”と呼ばれる種目だった。