結果、最後の自由形で追い上げることはできず、隣を泳いでいた大学1年生の新星、松下知之にも逆転され4分11秒78の7位でフィニッシュ。目標の自己ベストにはほど遠く、メダルにも手が届かなかった。

「この決勝は、400mをどう全力で泳ぐかだけを考えていました。最後はバテバテでしたけど、それも全力を出し切れた、ということだと思います。何より、400m個人メドレーの決勝という舞台で泳ぐことができて、幸せでした」

 本命の200m個人メドレーまでは、中3日。疲労を抜きながら、身体をスピードが出せるモードに切り替えていく作業に取りかかる。
    
 この準備がうまくいったのは、予選を見れば明白だった。バタフライ、背泳ぎが軽いテンポで泳げている。平泳ぎで少しもたつきはあったが、自由形も最後までしっかりとキックを打つことができている。

 個人メドレーは最後まで体力がもたなかったとき、特に自由形でのキックに影響が出る。失速するときは、だいたい最後にキックが打てていないときだ。

 だがこのときの瀬戸は、楽に気持ち良く泳ぎつつも、キックだけは最後まで打ち続けられていた。それは、好調である証でもあった。

 同日夜の準決勝。予選とは異なり、前半は少し余裕を持って泳ぎ、平泳ぎから徐々にペースを上げていくことを意識してレースを展開。平泳ぎのラップタイムを予選から1秒近く上げて、最後の自由形もタッチまでスピードを緩めずに泳ぎ切る。

 記録は1分56秒59。3月に行われたパリ五輪の選考会で出したタイムを上回る、シーズンベストタイムをマーク。このとき、瀬戸は初めて心からの笑顔を見せた。

「泣いても笑っても、次がパリ五輪のラストレース。全力を出して、悔いのないように泳ぎたい」

 このときのために、3年間の苦しさに耐え続けてきた。東京五輪後、鬼の練習量を誇る加藤健志コーチの門を叩き、徹底的に土台となる体力を作り直した。2023年の福岡で行われた世界水泳選手権後は、過去にも何度か訪れていたオーストラリアのマイケル・ボール・コーチに直談判をして、池江璃花子とともに練習に参加させてもらった。

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勝負の世界から解き放たれたような、優しい笑顔