セーラーデザインのドレスでテニス
そして皇室のスポーツといえば、やはり「テニス」だろう。
上皇ご夫妻が、長野・軽井沢のテニスコートで「運命の出会い」をしたのは有名だが、天皇家では明治時代からテニスを楽しんでいたようだ。
日本テニス協会のウェブサイトによると、1876年に横浜の外国人居留区から伝わったテニスは、男女の社交の場として日本人の間に急速に広まった。1886(明治19)年には、東京高等師範学校(現・筑波大)に「ローンテニス部」が誕生し、まもなく軟式(ソフトテニス)が全国に広がったという。
1905年の朝日新聞には、皇室でも親王や内親王がテニスで運動する様子が、翌06年には皇太子嘉仁親王(大正天皇)の妃だった節子妃(貞明皇后)の近況として、女官を相手に散歩やテニスで運動する様子が伝えられている。
1922年には、昭和天皇と婚約中だった東久邇良子女王(香淳皇后)も、セーラーデザインのドレスでテニスをする写真が残っている。
上皇さまと美智子さまは、3人のお子さまとともに、よくテニスコートでご一家の時間を過ごされていた。なかでも秋篠宮さまは、学習院中等科でテニス部に所属。12歳以下の男子シングルスの部で3度優勝しているほどだ。
「まだボールは見えます」と愛子さま
天皇ご一家にとっても、テニスは大切な時間のようだ。皇太子時代から貴重なプライベートの時間に全力で楽しみ、日常の疲れを癒やす場になっている。
長年、ご一家のテニスのお相手を務めていた元プロテニス選手の佐藤直子さんは、かつて記者がインタビューをした際に、こう明かしていた。
陛下と雅子さま、佐藤さんが練習しているコートに、天皇、皇后両陛下の長女愛子さまが合流。夕方になってボールが見えにくくなっても、「まだボールは見えます」とニコニコしながら元気にプレイしていたという。