5月に東京・日本橋の三越劇場で開催された「東京建築祭」のキックオフイベントに登壇。建築家の藤本壮介(中央)、同祭実行委員長の倉方俊輔とともに、建築のパトロネージュについて語った(写真/高野楓菜)

活気を失った地元の前橋 白井屋ホテルをシンボルに

 当時、日本のメガネの値段は1本4万~5万円が“常識”だった。韓国の格安メガネとどこが違うのか。調べてみたら、日本ではフレーム、レンズ、取り次ぎ、販売店と各段階でさまざまな業者が関与して、マージンが積み重なることで、高価格になっていた。だったらSPAとして社内で企画から製造、販売までを一気通貫させれば、価格も受け渡し時間も大幅に引き下げられる。これはチャンスだ。商売人のスイッチが入った。

 バッグの時と同じように、コネも知り合いもない韓国に渡り、一から取引業者を開拓して、01年、福岡・天神にJINS1号店を開いた。「メガネ一式5000円」の売り文句はインパクト大で、店には客が殺到。以降、他社の参入も呼び込みながら、メガネ市場は低価格路線に塗り替えられていく。まさしくイノベーションが起きたのだ。

 JINSは大証ヘラクレス(後のJASDAQ)を経て、東証一部上場へと進み、その間に軽量メガネやPC用メガネという独自開発のヒット商品を次々と生み出していった。

 時は現在に進む。今年6月、田中はこの秋に開催する「前橋ブックフェス2024」実行委員会のエグゼクティブディレクターとして、エグゼクティブプロデューサーの糸井重里、前橋市長の小川晶らとともに、故郷の町で記者発表に臨んでいた。

 JINSが右肩上がりに成長したゼロ年代は、それと反比例するように、前橋が活気を失くしていく時代だった。子どものころに賑(にぎ)やかだった中心部は軒並みシャッター商店街と化し、日曜でも人はまばら。

「前橋に限らず、日本全国で地方都市の衰退が進んでいました。僕自身、もともと大きな思い入れがあったわけでもなく、前橋は終わった町だな、ぐらいの感覚でした」(田中)

 その認識が覆ったのが、14年に市の文化施設「アーツ前橋」のトークイベントに招かれ、自分よりも若い世代と語り合った時だ。その一人、地域デベロッパー「まちの開発舎」を営む建築家の橋本薫(47)は、空き家を改装したコミュニティー拠点を運営しながら、町に若者を呼び戻すイベントを開き、地元を積極的に盛り上げていた。橋本は言う。

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