「東日本大震災の前後から、前橋にはUターンの若者が目立つようになっていました。それでも町中のさびれ具合は、ひどいものでしたが、僕は人のいない町が逆に新鮮に見えて、やりようはいくらでもあると思っていたんです」

 橋本ら地域のクリエイターたちの活動に、心を動かされたそのころ、老舗の「白井屋旅館」が東京のデベロッパーに買収されて、跡地にマンションが建つという噂が立った。江戸期創業の白井屋は、300年の歴史を持つ前橋のシンボルである。ここがマンションに変わったら、町はますます衰退するだろう。「田中さん、買ってくださいよ」「オレはメガネ屋だからできないよ」といったやりとりが繰り返された後、橋本は田中から一本の電話を受けた。

「橋本さん、僕、買いましたよ」

 白井屋を新たなランドマークにするべく、田中は10社近くのコンサルタントに事業をもちかけたが、すべて断られた。ここでベンチャー魂に火が付いた。だったら自分が何とかする。

 背景には、海外での体験があった。

 11年、前年に受賞した「EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤー」のモナコ世界大会で、同時代のグローバル起業家と一堂に会する機会を得た。その時、自己紹介の書類には「社会貢献」という項目が、当たり前のようにあった。片や日本では、起業家の振る舞いとして注目されるのが、派手な夜遊びだったり、超高額の買い物だったり。

「日本の起業家は、成功して大金を手にしても、使い方が分からないんです。若いころの自分も似たようなものでした。それはロールモデルがないからなんですね」

 20代から建築、アートに興味を持ち、JINSの店舗やプロダクトにも気鋭の建築家を多数、起用していた田中は、白井屋を「世界に類を見ないホテル」にしようと決めた。設計を依頼したのは建築家の藤本壮介(52)。四半世紀前、デビューしたばかりの藤本にいち早く注目した田中は、JINSのロードサイド店をともに企画したことがあった。敷地条件でそれは実現できなかったが、05年には藤本が田中の兄一家の家を設計。1階平屋に食堂、リビング、個室をドアなしで配置した家は、田中が心惹かれる「新しい発想」に満ち、かつ、そこに暮らす人への細かな配慮があった。

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