今年6月「前橋ブックフェス2024」の記者発表会で、(左から)糸井重里、みうらじゅん、前橋市長の小川晶とともにイベントをアピール。まちづくりでは、みずから協力事業者を回って、頭を下げる(写真/高野楓菜)

25歳で起業し30歳で4億 虚しさが常にあった

「第二の創業」では成長のドライブとして「新たなカスタマージャーニー(購入体験)の構築」と「グローバル展開の加速」を掲げている。昨年6月には、米アップルのクリエイティブ・ディレクターだったポール・ニクソンをグローバルのクリエイティブ責任者に迎えた。JINSの海外の売り上げに大きく貢献している台湾では、台湾出身の邱明キ(キュウメイキ=キは王に其)(47)が現地法人の社長として辣腕(らつわん)を振るう。そのような人材が田中のもとには着々と集まっている。

 ここで時間を巻き戻そう。「第二の創業」の前には、当然のごとく「第一の創業」があった。JINSは1988年に田中が群馬県前橋市で始めたファッション雑貨業が出発点だ。

 63年、前橋市でガソリンスタンドを経営する両親のもと、3人兄弟の三男として生まれた。本人いわく「大した期待もかけられず、努力はいや、失敗もいや、挑戦もしないような子」だったという。県内の高校を卒業した後は、地元の前橋信用金庫(現・しののめ信用金庫)に就職した。

 信金マン4年目、22歳の大晦日(おおみそか)の夜に、人生を変える出来事に遭遇した。当月の目標預金額が未達成ということで、上司から号令がかかり、夜9時過ぎに地元の名士の家を訪ねたら、「大晦日にまで金をせびりに来るのか」と、罵倒を浴びた。恥ずかしさと、仕事を否定された悔しさ。帰り道では涙が止まらなかった。この時、胸の底に抱いていた思いが、くっきりと形を取った。起業して、自分が納得する仕事をしていこう。

 時代はバブル期。知人が営む雑貨会社で働いた後、88年に25歳でファッション雑貨の会社を設立。エプロンと化粧ポーチが当たって、30歳で年商4億円の社長に成りあがった。会社ではワンマン体制で、高級車を乗り回し、クラブに通っては朝帰り。しかし、虚(むな)しかった。虚しさと呼応するように、会社は翌年からどんどん傾いていった。

 赤字に転落した時に、初めて社員の声に耳を傾けた。すると売れ筋はバッグだという。コネも何もない中国に渡り、交渉を繰り返しながらオリジナルのバッグを作ったら、それが大当たりした。もう飲み歩くことはしなかった。頭の中を占めていたのは、バッグが売れているうちに、次のヒットを開拓しなければならない、という商売の教訓だけ。そんな時、友人と出かけた韓国で1本3千円、15分で受け渡し、という格安メガネを知る。

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