仕事場を出て喫茶店で原稿を書くことも多い。偶然隣の席に座った人たちの会話がエッセイで再現されることも。デビュー作はほぼスマホで執筆したが、いまはMacBookで(写真:今村拓馬)

「だからやらなければいけないことが多すぎて。原稿執筆の合間に、本を読む時間を意識的につくっているし、エッセイも何本かストックを書いておきたいんです、締め切りギリギリの中で書く切迫感に耐えられないので。夜2時から3時まで飲んでいても目覚ましなしで朝8時には目がさめるんです。睡眠は1日3、4時間。一日ずっと張り詰めているから昼間も全然眠くならないですよ」

原因不明で髪が抜ける 小2で受けたひどいいじめ

「週刊新潮」の担当編集者によれば、半年先掲載用の原稿まで届くことがあるという。

「駄目なところをガンガン言ってくださいと言われました。推敲(すいこう)して質の高い原稿にしたいという気持ちの表れだと思います。そうして改稿された原稿は不思議な優しさ、気配りがあるんですね。毒があっても後味が悪くなく、私もネタにされたことがあるんですが、嫌な感じがないんです」

 デビューから7年。本の売れ行きが芳(かんば)しくない出版界で燃え殻は新刊を出し続け存在感を増している。書き続けられる理由を尋ねるとこう答えた。

「あの頃から地続きだと思っているんですよね。ずっと書いていたらこんなこともあるんだなと」

“あの頃”とは、長い不遇時代のことである。

 1973年生まれの燃え殻は、ずっと横浜で育ったが、小学2年の時に受けたいじめは激烈だった。発端は原因不明の脱毛。髪を含め体毛が抜けたのだ。同級生に持ち物を捨てられ、机や椅子を教室外に運ばれる、机に花瓶が置かれる、水をかけられる、「服、脱げ」と言われる……そんなことがほぼ連日続いた。担任教諭まで暴言を吐く始末。母親と通院し脱毛の治療はしたが治らなかった。燃え殻は学校を休みたかったが、母親は不登校になるとこの子は駄目になると思い、行かせていた。しかし耐えられなくなり、ある日母親に「もう死にたい」と打ち明けた。息子のSOSを聞いた母親は夕飯を作る手を止め、持っていた包丁を思いっきり畳に突き刺して言った。「お母さんを殺しなさい。それから自分で死になさい」

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