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「あの頃の気分としては、そもそも失敗したところで俺のことなど誰もみてないし覚えちゃいない。小学校の経験で慣れている。それに失敗したって話のネタになる。じゃあ、やっちゃえ。あとは明日の俺がどうにかしてくれるって感じでした」
尊敬する中島らもがかつて飛び込み営業をしたように、オフィスビルの上から下まで営業をかける。異業種交流会に参加する。自社のデザイン力・企画力を生かして、パンフレットや会社案内、チラシ、ポスター、動画制作などを売り込んだ。
清掃員に扮して営業10年後には4億を稼ぎ出す
極め付きは某企業への営業だ。まずその企業が入居するビルに清掃員のバイトで入り、数年かけて従業員と顔なじみになる。その上で従業員にさりげなく話しかけ、例えば商品の拡販に悩んでいる人がいたら、「実は私、こんな仕事をしていまして」と切り出し、動画制作などを受注した。
こうした営業をみて部下の関口は、普段は猫のように穏やかな燃え殻が、爪を立てて獲物に向かっていくように見えた。変わったなと思った。
新規事業を始めたもう一つの動機は、テレビ業界のような一過性の人間関係ではなく、濃い繋(つな)がりの中で仕事をしたいということだった。いじめの中で裏切られた経験が背景にあるのだが、裏切らない信頼できる人と仕事をしたいという思いをずっと抱いていた。営業に同行した田村庸介(43)によれば燃え殻は、「クライアントと飲んでは、自分の駄目な部分もさらけ出し、自分をわかってもらうことを懸命にやっていた」という。
燃え殻は失敗も部下に見せるタイプで、ある種道化役を引き受ける部分があった。だから部下たちも失敗を恐れず積極的にチャレンジできた。燃え殻は新規事業を仕切る人間としては向いていたのかもしれない。この新規事業、10年後には年間4億円を稼ぎ出すまでに成長させた。
「“やっぱり俺は正しかった”と、過去形で自分が思えるまでやり抜くのが自分のスタイルですね。どんだけくだらなくても、あれも運命だったのかなと思えるぐらいまでやる。そうしないと自分がかわいそうじゃないですか。もしかしたらできたかもしれないことができないまま終わるのって」
実は燃え殻が世に出る発端となるツイッターを始めたのは、この新規事業がきっかけだった。
それは営業先に向かう電車の中で、同僚とプレゼンのロールプレイをしていた時だった。「弊社は『踊る大捜査線』のエンドロールを作っておりまして」と言った次の瞬間だった。隣にいた人が「いまの話、本当ですか?」と食いついてきた。名刺交換すると、ゲーム情報を発信するエンターブレインの社員。のちに「ファミ通.com」というWebページでゲームソフトの宣伝ページを担当することになるのだが、話はそれだけではなかった。その会社では当時、ツイッターで社員同士が連絡を取り合っていたため、業務上、燃え殻も始めたのだった。それとは別に自分でも呟いてみると、知り合いの輪が広がっていった。
(文中敬称略)(文・西所正道)
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