第三層は時間の小説である。<わたし>はやがて成人し、自分も出産を体験する。逆に元気だった祖母は病を得て衰弱し、入院した。病院には祖母、母、<わたし>とその娘と一時的に四世代が揃う瞬間が訪れるのである。<わたし>が26歳のときに母親の寿命は尽きる。

 プロローグは、<わたし>が葬儀屋に「生前から穏やかでいらっしゃったんでしょうね」と話しかけられ、答えに窮する場面から始まる。生前の母親を表現する言葉を持っていないのだ。本作は、<わたし>がその答えを見つけるまでの物語でもある。それが可能になったのは深雪が亡くなって、生の全貌が見えるようになったからだ。生命とはそういうものであり、完結しなければ誰にもそれを評価することはできない。<わたし>が亡き母に思いを巡らす結末は植物状態の入院患者たちが他と同様の生命を持っていることを示した病室風景とつながっていくだろう。

 生命と言語、時間というものが、一人の女性を通じてこれ以上ない形で端的に示される。ここで描かれた母と娘の関係を称するのに、愛で結ばれたという以外の表現はあるだろうか。読んだ者の心に根を下ろし、いつまでもそこに居続ける。『植物少女』とはそうした小説である。

※「小説トリッパー」2023年春季号より

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